悪あがきブログ。

ママで妻で“働く”女のつれづれ日記。

LとGの話。

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アメリカの新大統領の件で世間は騒がしいけど、

一体何がどうなるんだかいまいちピンとこないなぁ怖いなぁと思ってた中、こんな記事に出会う。


トランプ氏がどうこうと言う文脈ではなく(そもそも彼についてとやかく言えるほど勉強もしてないし情報もないしね)、
大きな振り子が今そっちに振れてるのね〜とおおまかな世界情勢を把握するのには、私にもよくわかる良記事でした。

グローバル化=良いこと”
と当たり前のように思ってたけど、それも70年越しの刷り込みだったのか…とかちょっと目からウロコ。
楽観的になりすぎてもいけないけど、絶望して思考停止するよりこの記事くらいのテンションで柔軟にありたいものです。

さて、
先日ちょっとした機会があり、我が家に外国人の若者たちが遊びに来ました。
インド、ベトナムインドネシア出身の彼らは本当に素敵な人たちで、
とても楽しいひと時を過ごしました。
我が家のリビングで英語が飛び交って笑い声が上がるという絵が新鮮だった…
当然うまく言葉が通じなかったり相手の言うことがわからなかったりする場面もあるけど、
そんな時に“スマホ画像検索”と“子供でごまかす”という技がいかに便利かということを思い知らされたのでした。
次男がいつもやる、人差し指を立ててヒョイヒョイする謎のダンスが、インドではメジャーな踊りだと判明したり笑。


そして漠然と、あぁ今後こういう交流が増えていくんだろうなと思った。


いつか海外で暮らしてみるのもいいなと思ってたけど、
この国の何かが外国人に魅力的に映るなら、こちらが出向いて“国際交流”を求めていかなくても、向こうから来てくれるのだ。
じゃあ行かなくてもいいじゃないか!と言い切れるほど単純ではないけれど、
仮に海外暮らしをしてみても、
「それもこれも日本にいてもできるよね」
「やっぱり日本が一番暮らしやすいわ」
とか結局思っちゃって、なんというか“答え合わせ”をしに行くような気がしてならない。
そのくらい世界は均質化してると思うし、なんだかんだ故郷が一番なのだ。
(とは言えリアルな体験に勝るものはないから、答え合わせになるとわかった上で行くのも価値があると思うけど。)


先のLとGの話に応用して、
日本全体をひとつのL(ローカル)と捉えたら、日本を深く理解して自ら楽しむことが結果としてG(グローバル)的な要素を磨いていくことに繋がるんじゃないかなと思う。
Lをよくわかってなくて、自分の国のこと語れなくて3ヶ国語話せても、なんとも薄っぺらく片手落ちになりそうなもの。

だから1割のGが9割のLをリードするという構図ばかりじゃないような気がする。
そして1割のGになるべく頑張るのももちろんいいけど、センスの良いLを目指すのも素敵なことだなぁと思う。
あわよくば両方の側面を持ち合わせることができたら無敵。


写真は最近常備しているチョコです。
こんな美味しいチョコが200円で手に入る国なんてきっと他にないよなぁ…
すごいぜニッポン。






本になります。

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このたびブログが本になります。


と言っても全国書店にて販売中!なんていうことでは全然なく、
身内が取り組む自費出版事業のサンプルとしてどうかと話を頂き、お願いしました。
 
こんなくだらないブログをわざわざ本にするなんて恐れ多いなぁ恥ずかしいなぁと思いつつ、いざ試作版を手にするとやっぱりちょっと嬉しいもので、
せっかくだから、
記念だから、
と旅先で訳のわからない買い物をする時に似た、不思議な勇気がわいてくるのでした。

ものを書くというのは、
私にとってすごく身近なこと。
読書感想文はさほど苦ではなかったし、
中学生の頃は友人たちと1000通を超える手紙交換をしていた。
悩んでぐちゃぐちゃになる時は何に悩んでるのか書き出すし、
手帳や日記、計画表も、まぁまぁ続く方だと思う。
そういや仕事では企画書書いてる時が一番楽しい。

しゃべるのはあんまり得意じゃないので、
書くことで頭が整理され、物事がシンプルになって輪郭を現すあの感じが好きなのだ。
あーそういうことだったのね、って。

一方で、書いてしまって輪郭を現したくないこともけっこうある。
きれいな夕焼けを見て、
「きれいな夕焼け」
と書いたら、その夕焼けはもう“きれい”という檻の中に閉じ込められて、それ以上でも以下でもない世の中に溢れる夕焼けになってしまう。
言葉って残酷だなぁと思う。

だからなのか、子供に言葉を教える時に若干の葛藤がある。
「これはリンゴだよ、赤いんだよ、甘いんだよ…」
と教えつつ、心の中では
(いやー、違うよね、リンゴじゃない表現があるかもしれないし、これがピンクに見えることもあるかもしれないし、甘いなんて単純な味じゃないんだよ、あぁまた常識の檻に入れてしまった…)
ともどかしいのです。

そうした思いを知ってか知らずか
いや知らないだろうが、
長男が時々はなつ子供らしいみずみずしい言葉にホッとしたりして。
空に浮かぶ鱗雲を見て、
「ママ、お空がバラバラだよっ!!」
とかね。
この感性をいつまでも忘れないでほしいなぁと思う。


そんなこんなで(?)本になります。
どういう形で世に出るのか詳細はまだわかりませんが、
数年後に“ちょっと照れくさい思い出”になるタネが芽を出しました。

栄光書房の皆さん、ありがとう!

ハワイ。

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ハワイに行ってきました。


と言っても、もう戻って10日もたってしまった。
本当は興奮冷めやらぬ感じで青い海!広い空!的なことを書くつもりだったのですが、
なんだか毎日やたら眠くて老人並みの早寝早起き生活をしていたら、夜中に書いてるブログなど開くこともなく、秋もすっかり深まって今に至る。
寒いよー。


よく遊ぶ友人夫婦がぼやいた
「あ〜ハワイ行きて〜」
の一言にハイハイハイハーイ!!と身を乗り出して手を挙げ実現したこの旅行。
どうやら一部では“あの奥さんがハワイにどうしても行きたいと言ってきかない”ということになっているようだが、まぁ構わない。
あながち間違ってもいないし。ふんっ。

ハワイ通の二人はとにかく詳しくて、
あれが食べたいこれがしたいというリクエストに的確にこたえてくれた。
旅行の時はプランニング側に回ることが多い私としては、こんなにラクな旅は初めて。
手際よくやってくれてたけど、
けっこう大変だったろうな…
ほんと、感謝!!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

楽しかった旅行記書いてたらキリがなくなりそうなので、特に印象深かったとこだけメモ。

◼︎朝ヨガ
一回やってみたかったこれ。
現地在住の日本人先生(美人)を呼んでもらって公園でやりました。
朝5時半に起きて、寝ている子供達と夫を残してそ〜っと出ようとしたら、背後から
「おっはよーアロハ〜♪」
とハワイかぶれの長男の声が。
チッ。
しぶしぶ彼も連れて行くことにし、あーぁゆっくりヨガできなそうだなぁと諦めかける。
が、キレイな先生におだてられたせいか、意外なほどヨガに参加する長男。
フラフラしながらも一生懸命立ち木のポーズをする3歳児はなかなか頼もしいものでした。
朝の空気とか、流れる雲とか、目を閉じた時感じる光とか、
ベタかもしれないけどやっぱりそういうものが素晴らしくて、心が広くてヘルシーな人間になりたいと素直に思ったのでした。
まぁ2時間後には夫とケンカしてたけど…。泣。

◼︎ホノルル動物園
大人がやりたいことをわりと優先してしまう我が家でも、1日くらいは子供デーを作ろうと、
友人夫婦と別行動にして動物園へ。
“たいしたことない小さな動物園”とネットのレビューにあったので、
ちょっと寄ってからビーチに行こうくらいのノリで行ってみた。
が、意外に広い!
そして、動物がいない!
歩いても歩いても空っぽの檻ばかりで、
奥に動物がいても背を向けて昼寝してて何の動物かわからないというユルすぎる動物園…
なのに他の外国人観光客はけっこう楽しんでいるようで、“なんで?!何もいないけど?日本の動物園のクオリティって高かったんだなぁ〜”とかモヤモヤ思っていたが、
後半のゾウ、キリン、シマウマあたりからはようやく動物園らしくなってきて、
子供たちも楽しかった様子。
ホッ…

まぁちょっとびっくりしましたが、トロピカルな花がたくさん咲いていて、芝生や遊具もあって、子連れで散歩するにはとても良かったです。
動物園改め、“動物もいる公園”と名前を変えてほしい、ぜひ。


◼︎キッチン付ホテル
「ハワイはご飯が高いから、テイクアウトで食べたり自炊できるホテルがいいよ〜」
との情報をもらったので、
某国の胡散臭い大統領候補が経営するあのホテルに泊まりました。
驚異のクジ運を持つ夫がチェックインしたところ、部屋をアップグレードして頂き、
予想外に良い部屋に泊まれました。
サービスもなかなか良くて、やるじゃんト◯ンプ!という感じ。(まぁあの方はあんまり好きにはなれないが…)
キッチン付きのホテルには初めて泊まったけど、これは便利。
子供いると電子レンジやコンロに冷蔵庫、食器類があることでかなり助かりました。
夜な夜なみんなで部屋飲み会をやったのも楽しかったなぁ。
長男が帰国後、
「またベランダでご飯食べようよ!あれ?狭い!無理だね!」
と言ったのがちょっと切なかった…。


他にもカイルアビーチやファーマーズマーケット、ステーキにパンケーキにアサイーボウル…などなど、THE・ハワイを満喫させて頂き、
かくして育休中の大イベントが終了したわけでございます。
そして働いていつかまた来るぞと心に誓ったのでございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

飛行機での帰り道、ぼんやりと思ったのが、
海外を近く感じて生きてたいなぁということ。
海外旅行というとちょっと大げさな感じがするけど、今回の旅にしてもお盆の北海道よりずっと安かったりするし、
英語や街歩きも(国にもよるだろうけど)スマホのおかげもあり行ってしまえば何とかなる。

ニューヨークで働く友達が、
「みんなすごいとか羨ましいとか言うけど、だったら行っちゃえばいいのにって思う。海外なんてさ。」
って言ってたのがすごく印象深くて、
そうまで思えたら人生すごく広がるだろうなぁと思った。
もっともハワイ旅行とニューヨークで働くのでは全然次元が違うけど笑、
国境をヒョイっと飛び越えられる心身のフットワークを持っていたいなぁ。
それと勇気と度胸と体力とやりくり力と情報力と…
オラに力を!

ゆとりちゃんの可能性。

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「近頃の若い者は…」

と口にした瞬間、人はひとつ老いるのだと思う。

ファッションやカルチャーで言えば
その理解できなさが一種のステータスみたいなものだろうし、
「どーだわかんないだろう!」 
と本人たちが意識してるかどうか知らないがその時代を駆け抜けた後に甘苦くちょっとイタい思い出として残るのだ。
そんなの今に始まったことじゃないし、
近頃の原宿系ファッションなんて昔のガングロやシノラー(書いててすごい化石感!)の衝撃度に比べたらきっとかわいいものだ。


一方で目に見えない価値観はどうだろ。
昔から数年おきに◯◯世代とネーミングがされ、派手とか地味とか個性があるとかないとか価値観の傾向がくくられてきた。
(ちなみに私は“プリクラ世代”とも呼ばれ、就職氷河期を彷徨いました…)

↑ここにあるゆとり(さとり)世代のように、
この手の“無理しない、欲がない、きれいにまとまる”的な若者はこのごろ確かに多いなと感じる。
そしてときどき心に押し寄せる
「いやいやいや君たちユルいんじゃない?!甘いんじゃない?!」
というツッコミが、自分が年取ったから感じてしまうものなのか、本当に彼らが甘くてダメなのか、もーよくわからなくて悶々とするのだ。

そもそも“甘い”ってなんなんだろ、
甘くちゃダメなんだろか。
ゴリゴリ頑張って、無理して背伸びして、なんか成し遂げたらまた次の高みを目指して…
ってそういう状態を良しと考えること(中野氏http://woman.type.jp/wt/feature/467に習って“マッチョ志向”とでも言っとこうか)が仮に古いのだとしたら。
たまにおじさまおばさまが
「俺の若い頃は◯日も家に帰らず仕事したのに今の若者は根性が足りん!」
「今のお母さんたちは恵まれてるわねぇ、昔はもっと大変だったんだからもう少し苦労しないと…」
なんて言ってると白目になりそうになるが、
そういう生産的でない懐古主義と大して変わらないんだとしたら。


だってユルく甘くやった結果どうなるのかって、実はまだあんまり世の中が経験していないわけで。
ワークライフバランス的な話でいつも感じるのは、そういうことを言う人たちはだいたい“マッチョ志向の反省”としてQOL重視に舵を切っているから、始めからユルく生きてる人たちが世の中の中心になったらどうなるかは未知なんだよね。
あのスティーブジョブズでさえ、死ぬ間際に
「オレは大切なものを犠牲にしてきた」
と、ある意味マッチョにやってきたことを反省してしまってるのだ。

ユルい世界になっていったら、
経済的には縮むかもしれないけど、それに代わるなんか全く違う尺度が生まれていくかもしれない。
もしかしたら今すごい転換期なのかもしれないなと思います。


とはいえ、ただのやる気ないユルユルじゃなくて、
“ユルいけどすごい!”(←表現が稚拙…)
という人やモノが評価されてほしいなと思うけど。


とかなんとか書きつつ、
でもやっぱせめて最初の一杯くらいは
ウーロン茶じゃなくて生中ジョッキで元気に乾杯しようよ若者!!
とか思ってる私はやはりマッチョ志向なんでしょうかね…
残業ラーメンや接待カラオケだってそれはそれで楽しい…
ってダメだ、年だわこれ。

コーヒー愛。

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年間300杯くらいは飲むだろうか。
地元のコーヒーショップで受験勉強して、
ドトールのミラノサンドBとアイスコーヒーと文庫本が定番で、
スタバのラテを片手に早朝のオフィスでパソコンを睨み、
セブンカフェの100円コーヒーのクオリティに驚き、
(形から入る)夫が買った電動コーヒーミルが今日もけたたましく豆を砕く。

いつもコーヒーがそばにいて、
その時々ゆるいマイブームみたいなものがあった。
そんなに詳しくもなくこだわりもないけれど、どーせ飲むなら美味しいコーヒーで幸せになりたい。

酸味少なめの深煎り系が好きです。
マンデリンとかコロンビアとか。
あーでもモカも美味しいと思うようになってきたな。

……
なんて書くとコーヒーをたくさん飲むかのようですが、
違うんです。

一口でいいの。
ほんとにちょっと飲めば満足するタイプ。

外で飲むコーヒーはたいてい残すし、
家で朝淹れたコーヒーはちびちび飲むので昼になってもまだ残ってる。

試飲カップ。
あのサイズ!あのサイズなんですよ私が飲みたいのは。
スタバで“スーパーショート150円”なんてサイズを作ってくれたら毎日でも飲むのになぁ。
(グランデとか私にはもはや謎でしかない…)

「コーヒー、もういらないの??」
という言葉を今まで何度かけられてきたことか。
カフェでは店員さんに「この人このコーヒーまずかったのかな…」といらぬ心配をかけてしまってきたことだろう。
違うんです。
美味しいの。
コーヒー大好きなの。
でもちょっとでいいんだよ。
ってのがなかなか理解されないんだよね…

とはいえいちいち説明するのも面倒だし、
あーやっぱ私ちょっと変わってるのかなぁと思ってたんだけど、
こないだ朝のテレビ番組で
“コーヒーを寝る前に「淹れる」とよく眠れる=香りに強いリラックス作用がある”
と言ってるのを聞いて合点。

私が求めてたのは出来たてのコーヒーの“香り”だったんだなと。
あの深〜い香りと始めの3口くらいで、私にとってのコーヒーの役割は終わるのだ。


そういうわけで、
カルディコーヒーファームの店頭試飲に誰よりも満足しているのは自分だと思う。
あの手のひらに収まる紙コップに半分だけ注がれたミルクコーヒー。
私のコーヒー欲を満たすちょうど良い量。
最寄駅にカルディができた時、“喜んだ地元人ベスト30”にたぶん入ってるはずだ。
もともとカルディの商品も大好きだけど、あそこに行く理由の4割くらいはマイルドカルディの試飲だからね。
普段はブラック派だけど、あの甘ったるいコーヒーは買い物に疲れた体に染み渡る。
アイスからホットに変わった日には秋の訪れを感じ、
ハロウィンブレンドが傍らに陳列されてるのに試飲はマイルドカルディであることで「くそぅ、こいつを飲ませてはくれないのか…」とかえって購買意欲を刺激してくる。
これからはクリスマスお正月と、インスタ映えしそうな食材がずらりと並び、限定豆も出るけれど、
それでも店頭では「温かいコーヒーお配りしてまぁ〜す」とマイルドカルディが手渡されるのだ。

なんかいつも同じ煮物を出してくる田舎のおばあちゃんみたいな安心感。
あーあそこに寄ってくか、とふらりと立ち寄りホッとして歳時記を感じて帰る。
(おばあちゃんと違うのは、お小遣いはくれず逆にムダ遣いしてしまうことか…危険…。)

あの試飲、すっごいマーケティングに基づいてやってたりするのかな。
あれなくしたらどのくらい売上落ちるんだろう。

まぁ何はともあれ、
カルディのにんじんドレッシングは美味しいです。
子供がサラダをむしゃむしゃ食べるよ。


あー面倒くさい。

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「人生とは面倒くささとの戦いだ」

と言った友達がいた。

名言すぎてそれからずっと心にこびりついていて、
ほんとにその通りだといつも思う。

まぁ私がかなりの面倒くさがりだから響くだけなのかもしれないけど。
なんせ本当は朝起きるところから面倒くさい。
身支度して朝ごはん作るのも面倒くさい。
化粧するのも掃除するのも洗濯するのも子供を叱るのもお風呂入るのも全部ぜーんぶ、本当は面倒くさい。
これに出勤とかメールチェックとか社交辞令とか報告書とかONモードなあれこれが加わった日にはもう、ピーク・オブ・面倒くさい。

なのに、毎日それなりにこなして1日が終わるのは我ながらすごいと思う。
こんなに心の中では(いや言葉にも漏れ出つつ)面倒くさいと思ってるのに。
面倒くささとの戦いにかろうじて勝っているんだろうか。

さて、
冒頭の名言を吐いた彼は、努力の末に弁護士になった。
『勉強』という、私からすれば面倒くさ界の重鎮みたいなのとひたすら戦い続けて、
夢を一つ叶えたのだ。
(B君読んでたりするかな。すごいよあんたと言いたい。そして名言をありがとう。)

世の中でいわゆる“成功”をしていたり、
幸せに暮らしている人たちは、
面倒くさいことときちんと向き合って、乗り越えたりうまく付き合ったりしてる傾向があると思う。

逆に面倒くさいことから逃げ続けてると、
なんだか虚しく味気ない毎日になってしまう気がする。発展がないというか。

出汁とったり
粉からパン焼いたり
家中の窓拭いたり
写真まとめたり
パソコンのフォルダ整理したり
ショートカットキー覚えたり
洋服のほつれシミしわ直したり

どれもできてないこと。
でもきっと面倒くさいことと豊かなことは実は近くにあるんだろなぁとわかってる。
だからリンネル的なテンションで『丁寧な暮らし』みたいな文字面を見ると
なんだかゾワゾワして
「ひぇーっ!溶けるー(?)!ごめんなさい!」
と後ろめたさで満たされる。

「子供いるしね、そんなのんびりしたこと言ってられないわ」
てな定石で言い訳したくなるも、
じゃあ子供いなかったらやるのかよと自問するとウッてなるし、言い訳に使われた子供にも申し訳ないなと思ってさらにズムーンなんですよ、ね。

しかしそんな私にも、面倒くささに打ち勝つための小ワザがある。
それは
“面倒くさいと頭が思う前にやる”
ということ。
脳をダマすと言うか、意識の水面に“めんど…”という感情が現れる前に体を動かすと、わりとうまくいくことが多いです。
例えば、「あー起きなきゃぁ…」と思いながらゴロゴロしてて、起きて身支度して出かけたと思ったらそれは夢だった!みたいな時はちょっと死にたくなるからね…
「あー起きるのめんど…シャキーン!!(起床)」
みたいなことができると良い一日が待っています。
たぶん。


そして、こないだ面倒くさいことがたくさん載っていそうな本を見つけたのでポチりました。
このポイントだけいいとこ取りしようという姿勢に面倒くさがりの性が透けて見えますが、そこは触れずに。

【読書】「自分の仕事をつくる」読みました。

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未来の働き方や生き方に興味があるとか何とか公言しながら、

二人目の育休も一年が過ぎ、
すっかりその熱もぬるくなってしまった。

ワークライフバランスに関する企画書(と言えるほどの物でもなかったけど…)持って、上司に専任担当にしてくれと詰め寄ってたのは遠い昔の話か。
自分の意志の弱さに幻滅すると同時に、そのくらい“当事者”でなくなることは関心を薄くするんだなぁと実感している。

駒崎弘樹さんが、
「子育て世代の意見が政治に反映されにくいのは、当事者である期間が短くて声を上げても持続しないからだ」
という趣旨のことを言っていて、すごく腹落ちしたのを思い出す。
たとえば保活に悩ませられるのもせいぜい1〜2年の話だし、その後は両立問題、小一の壁と立て続けに新しい問題が待っていて、「保育園増やしてくれー!」なんていつまでも言ってられるほどみんなヒマじゃないのよね。

当事者じゃないと弱い。
渦中にいないとその人の気持ちや境遇がなかなかわからないものだし、
当事者とそうでない人との間には温度差が生まれてしまう。
そこをどうやって想像力働かせて折り合いつけて、共存していくかが人間の厚みってもんでしょと思うので、
いろんな人がいる環境で息子たちには育って欲しいなぁと思うこの頃。


………………………………
ええと、
前置きが長い上に逸れたけど笑、
久しぶりに“働く”こと関連の本を読みました。

『自分の仕事をつくる』

すごく乱暴にまとめると、
“自分が本当に良いと思うもの、好きなものを作る仕事をしよう”
ということを企業家たちのインタビューを通して伝えている本。
“矛盾のない仕事”こそが人を幸せにする、という主張など、ほんとそうだよなぁと思うことばかり。
(✳︎矛盾のある仕事とは、例えば燃やせないプラスチック容器で過剰包装された“健康に良い”自然食品とか、途上国で安い賃金で作らせた“環境に優しい”オーガニックコットンとか…世の中に溢れる〝普通の〟仕事を指す。)

でも。でもね。
好きなことだけで仕事するなんて、
矛盾のない仕事を貫くなんて、
やーっぱり理想論な感じが否めないわけですよ。
理不尽なことに耐えたり、
制約の中で妥協したり、
本質と違うところで駆け引きしたり、
そうやって「なんだかなぁ…」と思いながら働いてる人が大多数なわけで。

だからそういう中で
「やめちゃえばいいじゃん」とか
「意味なくない?」とか
「好きなことだけやれば?」
とかサラッと言っちゃうホリエモンあたりが若者に根強い人気なのはなんか納得なのです。

“自分の仕事をつくる”上でポイントになるのはきっと、
土俵から降りる勇気を持てるかどうか。
ベタな価値観のレッドオーシャンを離れて自分だけの静かな海でのびのび泳ぐのは、どんなに気持ちがいいだろう。
月収100万で歯を食いしばって働くのと、
月収20万で好きなことを思い切りやって心が満たされるのと、
一体どっちが幸せなんだろ。

この本の中でいう良い仕事とは、
「よくやった!」と言われるより
「ありがとう」と言われる仕事だという。
自分のことを振り返ってもその通りだと実感するし、そういう仕事には愛情や情熱が込められていた。
純粋に好きである、楽しいということは、
何物にも代え難い幸福感を生むし、それが滲み出て他の誰かも幸せにするものなのだ。


なんてことを考えつつ、
あ〜海外旅行行きたい!ハクのつくブランド品が欲しい!そろそろディズニーランドに子供連れて行きたいわ!あのホテルのランチ気になる!
などと資本主義の申し子のような私には、
土俵から降りることなんて到底できなそうなんだけど…苦笑


とはいえ、心に理想を持つのと持たないのでは大違い。
私の仕事これでいいんだっけ?
ってなっちゃってる人に特におすすめの良書です。