悪あがきブログ。

ママで妻で“働く”女のつれづれ日記。

着る服がない。

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“何を着たらいいかわからない。”

たぶん今まで2000回くらいそう思ってきた。
クローゼットにはたくさん服があるし、
世の女性の平均に比べたら毎シーズン新しい服も買っている方だと思う。

なのに。
着る服がない。

1年で一番ファッションが楽しい春がそこまで来ている。
そして毎年この時期には
「つーか去年何着てたっけ?え、これ?!」
ってなる。
そして足りないものをちょこちょこ買い足す、というのが例年の流れ。

けれど自信がない。
洋服は好きなのに、どう選び、どう着たらいいのかがわからずなんとなく不安なまま、こんな感じでいいんでしょうか…と申し訳なく着てる、って感じ。
(好きなのに苦手、ってよく考えたらそんなんばっかだな私。苦笑)

人生ナビゲーター的な神さまみたいな人が現れて、
「あなたはこれが似合うからこれを着なさい、そしてこれを食べてここへ行ってここに住んでこんな仕事をしてこんな趣味を持てば、必ずや幸せになれます。」
とか教えてくれないかなーといつも思う。
そんな人生つまんないのかな…。
うーん。

そして不安な結果何が起こるかというと、
同じような服が揃う。
クローゼットをあけると、そのグレーとボーダーっぷりに我ながらびっくりする。
グレーの濃淡とシルエット、そしてボーダーはピッチと生地の違いのみ。バリエーションだけは自慢できるぜ。
そういや昔ドン小西のファッションチェックに声をかけられて、
「あなたは冒険しない人ね、無難なのばっかり選ぶでしょ。」って一言。
で、謎のベビーピンクのニット帽みたいなの被らされたけど、よっぽどつまんない取材対象だったんだろう、結局オンエアされなかった笑。


もうそろそろパーソナルスタイリストなるものを試してみようかなーと思ったが、
その前に一つ気になるサービスがあったのでトライしてみた。
月額のオンラインファッションレンタルサービスだ。
・自分では選ばない服との出会い
・コーディネートの提案
・それらをオンラインで提供
こうしたことをどうやってやるのか、
はたまた利用者はどんな気持ちなのか、(トレンド的には若干いまさら感はあるものの…)興味があったのでひとまず一カ月やってみた。

結果。
うーーん、惜しかった…。
確かに画期的なサービスではあったけど、私には合わず。

だけどやってみていろんなことに気付いたのは収穫でした。
◼︎意外なほどブランドを気にしてた
送られてくるのはほとんどが無名ブランド。
私が知らないだけかもしれないけど、知らなければノーブランドと同じこと。
かわいければどこのだって構わない、って自分は思ってると思ってたのに、こんなにも“どこのだよコレ”感。
ブランドの威力と安心感に思いがけず気付かされたのでした。

◼︎好みと挑戦のサジ加減
やる前から気になってたポイント。
事前に体型や服の好みを登録して、それをもとにスタイリストさんが服をセレクトして送ってくれるというものなのだが、
好み通りのものをそのまま送るのでは芸がないので、“自分では選ばないもの”を提案してくれる。
が、そのサジ加減がなんと難しいものかと思い知らされる。
ボーダー好きだけどさ、太い赤白しましまのウォーリーみたいのは私には着る勇気がないんだなぁ…惜しい、惜しいよ。
(来た服へのレビューを繰り返すことでニーズのズレは解消されていきそうなので、もっと続ければ変わってくるはずなのですが)

◼︎オンラインの限界?
サジ加減の話にも関係するんだけど、
対人コミュニケーションがない状態でどこまで「あーこれこれ!」ってレベルまで持って行けるかってすごく難しいなと痛感。
家にいると外で買い物してる時の高揚感や店員さんの一押し、時間の制約もないわけで、良くも悪くもすごく冷静。
その冷静な目で“他人が選んだ服”をジャッジするわけだからそりゃ厳しくもなる。
セレクトの精度か、服の調達システムか、価格か、相当な付加価値がないとオンラインのハンデは越えられないのかもと感じたのでした。


と書いたもののこのサービスを否定する気は全くなく、むしろやっぱりすごいなと思う。
特に買い物やファッションがあまり好きでない(というか得意じゃない)人にとってはありがたいサービスなはず。
接客されるのがイヤという人が6割とかいうデータもある中で、多くの人を幸せにしていると思う。

ただ、何冊でもファッション誌眺めてられる、一日中買い物してていいよって言われても全く苦じゃない私みたいなタイプにとっては、もっと多くを求めてしまうのも事実。
買い物もファッションも好きだけど、なんかもっとブレイクスルーしたい、でも時間もお金もかけられないって人たちにバチッとはまるサービスって、今のところどこにも見当たらないのです。
商機だよなーこれ。


ちなみに一番最近買ったのはグレーのリブトップスです。
誰かこのグレースパイラルから私を救い出してください…



免許にまつわるエトセトラ。

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意地悪な(しかし何かとお世話になっている)友人が、私の免許にまつわるエトセトラを書けと言っているらしいので書いてやろうと思う。

ふんっ。

もう2ヶ月以上ゴタゴタしていたのだが、
この件について書く気になったのは一旦幕引きになったからだ。

失効した免許の取り直し、諦めましたっ!!!



育休中の大きな課題、免許を取り直すぞ〜と張り切っていろいろ調べ、
更新忘れというアホすぎる理由で1から指定校に通い直すのも悔しいため、一番効率的かつ経済的な方法をと、試験場で受験する指定外校に入校した。
今思うとこの時点で既に考えが甘かったのだけど…
苦い経験から学ぶところも多かったので記録しますトホホ。

①【試験場受験をなめてはいかん】
これから試験場受験をしますなんて人はいないと思うけど、
教習所高いしめんどくさそうだから一発受験しようなんて軽い気持ちで行くならやめた方がいい。
現に免許取得者の95%は試験場に行かない指定教習所の卒業生。
そして試験場での技能試験の合格率はわずか5%(非公表なので概算らしいが)、仮免から本免まで全て一発合格する人は2%を切るらしい…。

し、知らなかった…
なんとかなるだろうとなめてかかっていた自分をブン殴りたい。技能試験に3回落ちてようやくなんかおかしいと思って調べたらこのような数字が出てきたのだ。
こんなの運動神経弱者(そんな言葉あるのか)の私が受かるはずがない。
教習所の先生に「皆さんどのくらいで受かるんですか?」って聞いたら
「うーん、平均で3、4回ですかね〜。10回とかもいますよ。」だって。
それ早く言ってくれよおじさん!

この一件でネガティブ情報の収集はほんとに大事だと痛感しました…
このまま粘って受け続けても復職までに間に合う保証はなく、また仮に指定校に入り直しても今から始めると半年かかると言われ、もはや打つ手なし、ジ・エンド。

この結末に至るまでの2ヶ月と◯万円、返ってこないかなぁ泣。


②【そういや運転が嫌いだった】
そもそもの話だけど…
免許があった頃も運転が嫌いだった。

あんな殺人兵器を乗り回すなんて気狂いの沙汰だと思ってるし、私からすれば首都高はジェットコースター、都会の駐車場は針にタコ糸を通すような神業である。

でもみんな「慣れれば楽しいよ」とか「毛嫌いしすぎだ」とか言ってくる。

いや多分その通りだし励ましはとてもありがたいんだけど、
運転=楽しいもの
という世間の常識のせいでこちらは居心地が悪いのだ。
免許を取るためにその違和感を押し殺してきたが、やっぱダメね。
嫌いなものは嫌い。しょうがない。

これからはラーメンを嫌いだと言う人がいたら
「えー!信じられない!あんなに美味しいのに…」とか言わずに優しく接してあげようと思います。
常識が人を苦しめるのです笑。



③【子供を抱えて自己研鑽するということ】
免許の再取得を“自己研鑽”と言えるかどうかは置いといて、
教習所に行く日は半日がかりなので、下の子を母や義母に預けて出かける。

わざわざ時間を割いて交通費を出して来てもらって無為な結果になるのはほんとに心苦しかった。
“子供を置いて自分のことをするのを申し訳ないと思う気持ち”は長男の時に散々味わって心の整理をつけてきたはずなのに、
あの呪縛から完全に放たれることはないんだろか。

必要なのは太めの神経と感謝の心。
わかってるんだけどねー。


④【世の中どうにもならないことがある】
思えば今まで様々な局面をゴリ押しや交渉で切り抜けてきた。
なんとかなると信じられる性分はO型で良かったなぁと思うし、その結果欲しいものを手に入れたり希望を通したりしてきた。

でも。
そんなもの全く通用しないこともある。

私「一体何が悪くて不合格なんですか?」
教官「それは言えません」
私「・・・」

私「子供のお迎えに間に合わないので試験結果を後日取りに来てもいいですか?」
教官「それは絶対ダメです、なんとかしてください。」
私「自治体の条例上どうしてもこれ以上保育を延長できないのですが…」
教官「ではあなた試験場受験ムリですよ。おやめになってください。」
私「・・・(泣)」

こんなやり取りが何度もあり、心がすり減りました。
教官は警察官。剣もほろろ…。
関係ないけどあの試験場の刑務所みたいな雰囲気と、臭い和式のトイレも大嫌いだった。

世間は厳しい。
3◯歳にして改めて自分の甘さを知りました。




なんだか長〜くなりましたが、
打つ手がなくなって諦めた今の気持ちは

あーーー、スッキリしたっ!!!\(^o^)/

物理的に無理だということがこれほど人を解放させるとは!
久しぶりにビールが美味い。
タコとクレソンのサラダが美味い。
子供にいつもより優しい。

人生諦めも肝心。
残りの育休を余すところなく充実させようと思いますフフフ。

踊りたい踊れない。

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得意なことは少ないが、苦手なことは多くそしてはっきりしている。

 
その一つが、
ダンス!!
 
みんなよく踊ってるよね。
というかここ数年ダンスがかなり一般化してないか。
こんなに誰も彼もどこでも踊るような国だったかしらニッポン。
小学生の授業で必修化って運動会以外でも踊るんですかハーすごい時代になったもんだ。
 
別にダンスが嫌いなわけではない。
むしろ、周りに何人かいるダンサーちゃんダンサーくんたちが羨ましくてしょうがない。
だって文句なしにかっこいいんだもん、
いいないいないいな。
ブルーノマーズも星野源マイコーもAKBも
私はいつだって口を開け目から星を飛ばしながら動画を見てるのだ。
 
なんでしかし踊れないんだろう私は。
いやウソわかってる、ダンスには運動神経というか身のこなしのセンスみたいなものが必要で、おそらく私にはそれが著しく欠けている。
ちょっと物を落としそうになった時のとっさの動きが意味不明だったり、
ライブのノリ方がいまいちダサかったり、
3秒走るだけで体育の黒歴史が蘇ってしまったり、
たぶんそういうこと。
 
中目黒は山手通りでEXILEキッズたち(やそのママたち)とすれ違う時に妙に身構えてしまうのは、
その派手な外見に警戒してしまうだけじゃなく、羨望と劣等感の混ざった変な気持ちになるからなのだ。
 
 
って前置きはどうでもいいんですが、
最近“恋ダンス”を毎日踊っている。
今さら?
ええ今さら。
悪いか。
(ドラマ観てなかったんだよなー…すごい後悔しております泣)
長男の保育園でも練習しているとのことで、こりゃ一つ息子と踊れるものがあったら楽しいんじゃないかと始めてみたら、
これがなかなかに楽しい。
たぶんセンスの良い人の何倍も時間をかけて、振りの解説動画を見ながら練習する日々。
子供たちも巻き添えで、なんとか形になってきた(気がする)。
 
TRFのダンスエクササイズDVDについていけず、フォーチュンクッキーも中途半端に終わった自分が、恋ダンスは最後まで踊りきったことに小さな成長を感じずにはいられない。
日々是精進。
 
 
 
しかし薄々気づいていた問題が一つ。
 
踊れるようになって私どうするんだ? 
 
保育園で私が踊るわけではないし、
インスタに動画をアップするなんて習慣はない。というか理解できない。
でもせっかく踊れるようになったのにもったいないなー
二人を超えていけ〜♫のところで向き合って踊ってくれる人いないかなー
 
 
というわけで誰か一緒に恋ダンス踊ってくれませんでしょうか。
カラオケにでも行きたいけど誰を誘っていいかもわからないし。
 
奇特にもこれを読んで踊ってもいいかなと思った方がいたら
コートダジュールのファミリールームに集合しましょう。

もう少し2017。

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完璧に片付けたと思って夫の実家に帰省したのに、

帰ってきたらキッチンの片隅で残り物の味噌汁が静かに年を越していました。
皆さまいかがお過ごしでしょうか。
2017年になりました。




遅ればせながら年末に「君の名は。」を観てきました。
評判どおり、素晴らしい。
ここ数年の映画で一番良いかも。

細かくどこがどうだと表現するセンスもないので、観てない方はぜひ観てみてとしか言えない。
ただ、なんというか心の使ってない部分の筋肉をギューーーッとされる感じ。
観た後の不思議な爽快感と、どうしようもない喪失感のハイブリッド。
いい大人になっても、まだ経験したことのない感覚があるんだなぁと思った。


2016年は、ここ数年の激動ぶりに比べるとわりと平穏な一年でした。
迷ったらやる!とか目標を立ててみたけど達成できたようなできなかったような。
ただ言えるのは、4歳と1歳の息子たちの凄まじい成長スピードに巻き込まれてうやむやになってたけど、
「で、私自身は何か成長したのか」
と問われれば
「してなーっい!」
としか答えられない、割とちんまりした一年だったこと。
でも別にそれに落胆するわけではなく、
まぁそんなこともあるよねと、病気も事故もなく過ごせて良かったねと、紅白を観て甘酒をすすって締めくくったわけです。


(そして例によって
「いやー、一年ほんとあっという間だったわ…」
と思ったわけですが、
同時にどこかで聞いた
“時間の流れが早いと感じるということは、毎日が過去の繰り返しということ”
という話を思い出す。
そういやお年寄りの一年は短く、子どもの一年は長い。)


2017年、どんな年にしようかなぁ。
もう結婚や出産や引越しなど人生の一大イベントはまずないのだから、
そろそろもっと自分の中身に目を向けるタイミングなのかもしれない。

んー、そうだなあ。
今年の抱負は
“もう少し深掘りしてみる”
にしようかな。

もう少し考えてみる
もう少し話してみる
もう少し遠くまで行ってみる
もう少し時間をかけてみる
もう少し調べてみる
もう少し待ってみる
もう少し続けてみる

という感じ。
自分の、いろんなことがうわべだけでツルツル滑ってく感じに嫌気がさしてたので、
そこを変えられたら、もっと豊かで新しい毎日になる気がしている。
もう少し深掘りして、脳みその使ってない80%をつついてみたら、“君の名は。”で揺さぶられたような未知の感覚がブワッと出てくるかもしれない。
そういうものとジャンジャン向き合って味のある素敵な大人になりたいな。


とかなんとか考えつつ、
やっぱりそれ以前の基本は、
明るく笑顔で元気よく!(←小学生か笑)
ちょっと気をぬくと陰気になるので、胸張って声出してモリモリ食べて前進したい。
結局そこ?
結局そこだわ。

家族や友人や大切な人たちともっと向き合って、元気を分け合えるような日々を送れたらいい。
幸多き一年になりますように。

今年もどうぞよろしくお願いします。



ダラダラしたい。

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スナック菓子片手にゴロゴロしながらテレビを見る。

が、できない。

子供がいるからそんな余裕がない、とかそういう意味ではなく(それももちろんあるんだけど)。
のんびりすることそのものがどうも苦手なのだ。

テレビを見る時は、
誰かにLINEしながら
ネットスーパーの注文しながら
洗濯物たたみながら
洗い物しながら
が当たり前。
それらをしなくていい時も、ふと気づくとなぜか立って見ている。
いやいや私、せめてソファに座ろうよ、一息つこう…と座ってみても、なんだかソワソワしてきて10分後には何か別のことをしている。

昼寝、というものも苦手。
よーし!今日は昼寝するぞ!と強い決意を持って決めておかないとできない。
ましてや“昼過ぎまで寝てる”なんてとても考えられない。
いったいどうしてそこまでのんびりできるというのか。

休んだ途端あれこれ思い出して動き出し、
おもちゃを撒き散らしながら遊ぶ子供を追いかけて片付けて回り、←これを毎日5回くらいやる
右のものを左に動かし、また右に戻すようなことを繰り返し、ふぅ〜ってなって1日が終わる。
が、夜寝る時もなにやらすごく体に力が入っているらしく、ガチガチですよと整体師に指摘され、
あなた食いしばりすぎて歯がすり減ってますねと歯医者に言われた。



なんか。
すごーく損してる気がする…。

怠惰な時間のぜいたくを
脱力する幸せを
たとえそのチャンスが巡ってきても楽しむことができないなんて。
こないだはベッドでゴロゴロしながら遊ぶ子供の横で正座してる自分に気づいてちょっと悲しくなった…せめて横になろうよ。

だから
いつでもどこでも寝られて、極限まで散らかしながら子供と集中して遊べる夫が心底うらやましい。
深夜のお笑い番組に爆笑しながら、ポテチを袋ごと飲み物みたいに食らう姿に、あぁこの人は完全にスイッチを切れるんだなぁと実感する。



早いもので今年もそろそろ終わるけど、
ちょっと来年からはこの常にソワソワしてる自分をどうにかしたい。
休むときは思いっきり休んで
遊ぶときは思いっきり遊んで
もう少しダイナミックに毎日を謳歌したいのです。

取り急ぎ、年末年始は缶ビールとポテチを飲み、こたつで紅白に突っ込み入れながら真剣にダラダラ過ごしたいと思います。

真剣にダラダラ。
やっぱり力入ってるな…

LとGの話。

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アメリカの新大統領の件で世間は騒がしいけど、

一体何がどうなるんだかいまいちピンとこないなぁ怖いなぁと思ってた中、こんな記事に出会う。


トランプ氏がどうこうと言う文脈ではなく(そもそも彼についてとやかく言えるほど勉強もしてないし情報もないしね)、
大きな振り子が今そっちに振れてるのね〜とおおまかな世界情勢を把握するのには、私にもよくわかる良記事でした。

グローバル化=良いこと”
と当たり前のように思ってたけど、それも70年越しの刷り込みだったのか…とかちょっと目からウロコ。
楽観的になりすぎてもいけないけど、絶望して思考停止するよりこの記事くらいのテンションで柔軟にありたいものです。

さて、
先日ちょっとした機会があり、我が家に外国人の若者たちが遊びに来ました。
インド、ベトナムインドネシア出身の彼らは本当に素敵な人たちで、
とても楽しいひと時を過ごしました。
我が家のリビングで英語が飛び交って笑い声が上がるという絵が新鮮だった…
当然うまく言葉が通じなかったり相手の言うことがわからなかったりする場面もあるけど、
そんな時に“スマホ画像検索”と“子供でごまかす”という技がいかに便利かということを思い知らされたのでした。
次男がいつもやる、人差し指を立ててヒョイヒョイする謎のダンスが、インドではメジャーな踊りだと判明したり笑。


そして漠然と、あぁ今後こういう交流が増えていくんだろうなと思った。


いつか海外で暮らしてみるのもいいなと思ってたけど、
この国の何かが外国人に魅力的に映るなら、こちらが出向いて“国際交流”を求めていかなくても、向こうから来てくれるのだ。
じゃあ行かなくてもいいじゃないか!と言い切れるほど単純ではないけれど、
仮に海外暮らしをしてみても、
「それもこれも日本にいてもできるよね」
「やっぱり日本が一番暮らしやすいわ」
とか結局思っちゃって、なんというか“答え合わせ”をしに行くような気がしてならない。
そのくらい世界は均質化してると思うし、なんだかんだ故郷が一番なのだ。
(とは言えリアルな体験に勝るものはないから、答え合わせになるとわかった上で行くのも価値があると思うけど。)


先のLとGの話に応用して、
日本全体をひとつのL(ローカル)と捉えたら、日本を深く理解して自ら楽しむことが結果としてG(グローバル)的な要素を磨いていくことに繋がるんじゃないかなと思う。
Lをよくわかってなくて、自分の国のこと語れなくて3ヶ国語話せても、なんとも薄っぺらく片手落ちになりそうなもの。

だから1割のGが9割のLをリードするという構図ばかりじゃないような気がする。
そして1割のGになるべく頑張るのももちろんいいけど、センスの良いLを目指すのも素敵なことだなぁと思う。
あわよくば両方の側面を持ち合わせることができたら無敵。


写真は最近常備しているチョコです。
こんな美味しいチョコが200円で手に入る国なんてきっと他にないよなぁ…
すごいぜニッポン。






本になります。

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このたびブログが本になります。


と言っても全国書店にて販売中!なんていうことでは全然なく、
身内が取り組む自費出版事業のサンプルとしてどうかと話を頂き、お願いしました。
 
こんなくだらないブログをわざわざ本にするなんて恐れ多いなぁ恥ずかしいなぁと思いつつ、いざ試作版を手にするとやっぱりちょっと嬉しいもので、
せっかくだから、
記念だから、
と旅先で訳のわからない買い物をする時に似た、不思議な勇気がわいてくるのでした。

ものを書くというのは、
私にとってすごく身近なこと。
読書感想文はさほど苦ではなかったし、
中学生の頃は友人たちと1000通を超える手紙交換をしていた。
悩んでぐちゃぐちゃになる時は何に悩んでるのか書き出すし、
手帳や日記、計画表も、まぁまぁ続く方だと思う。
そういや仕事では企画書書いてる時が一番楽しい。

しゃべるのはあんまり得意じゃないので、
書くことで頭が整理され、物事がシンプルになって輪郭を現すあの感じが好きなのだ。
あーそういうことだったのね、って。

一方で、書いてしまって輪郭を現したくないこともけっこうある。
きれいな夕焼けを見て、
「きれいな夕焼け」
と書いたら、その夕焼けはもう“きれい”という檻の中に閉じ込められて、それ以上でも以下でもない世の中に溢れる夕焼けになってしまう。
言葉って残酷だなぁと思う。

だからなのか、子供に言葉を教える時に若干の葛藤がある。
「これはリンゴだよ、赤いんだよ、甘いんだよ…」
と教えつつ、心の中では
(いやー、違うよね、リンゴじゃない表現があるかもしれないし、これがピンクに見えることもあるかもしれないし、甘いなんて単純な味じゃないんだよ、あぁまた常識の檻に入れてしまった…)
ともどかしいのです。

そうした思いを知ってか知らずか
いや知らないだろうが、
長男が時々はなつ子供らしいみずみずしい言葉にホッとしたりして。
空に浮かぶ鱗雲を見て、
「ママ、お空がバラバラだよっ!!」
とかね。
この感性をいつまでも忘れないでほしいなぁと思う。


そんなこんなで(?)本になります。
どういう形で世に出るのか詳細はまだわかりませんが、
数年後に“ちょっと照れくさい思い出”になるタネが芽を出しました。

栄光書房の皆さん、ありがとう!