悪あがきブログ。

ママで妻で“働く”女のつれづれ日記。

お茶室にて。

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あけましておめでとうございます。

一応新年なのでちゃんとメモしとこうと思います。


2017年、【優先順位】を抱負にやってきましたが、

よく遊び、よく食べ、よく凹み、よく立ち直り、しかしよく働けていたのかはよくわからず、

ほんと、なんだかよくわからないままに気づいたら終わってしまった感じでした。


ひとつ言えるのは、去年の自分はあんまり好きじゃなかった。

手綱をしっかり握れないまま、乗っている馬がどんどん走ってしまってる感じ。

なんだか知らないがうまくいかない。

うまくいかない原因を正す間もなく時間ばかりが過ぎた。

自分で選んだはずの生活スタイルが上滑りして、悔しさと申し訳なさでいっぱい。

マイ流行語大賞は「くっそー!」だったわよアラヤダ。



ちょっとどーしようかな2018‥‥

今年の抱負。


【丁寧】


これでいきます。


うわー。


苦手な言葉。


リンネルやらアンドプレミアムやら、

そういう系統の媒体から威風堂々光り輝いて浮き出す(もしくは透けて見える気がする)2文字。


丁寧なくらし

食事は丁寧に

子供と丁寧に時間を過ごす

丁寧な人付き合い

言葉遣いは丁寧に


薄目を開けて焦点ぼかして、見ないように遠ざけてきたこうしたワードに今こそ向き合う時が来たのだ。


ごちゃごちゃ考えて目をそらしたりごまかしたりしてるうちに、

指の間から大切な時間がこぼれ落ちていくのが、実はもう恐怖ですらあり。


今日は今日でしかなく二度と戻らないからね。


~すべき、

~しなければならない、

~するのが当たり前

という価値観から自由になって

自分が本当にやりたいこと、大切だと思うことに深くまっすぐ向き合えたら。


まぁいきなりぬか漬け作ったり裁縫したり手紙をしたためたりするようなことはできないけど、

心をこめてお礼をするとか、メールを丁寧に返すとか、落ち着いて食事をするとか、そういうことから徐々に生活を変えていきたい。


というようなことを、

金沢の温泉旅館のお茶室で抹茶をすすりながら考えていた。

詰め込まない時間の、なんと豊かなこと。



笑顔と幸多き一年になりますように。

そして大切な人たちもまたそうでありますように。


今年もどうぞ、よろしくお願いします。


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今週のお題「2018年の抱負」

ライブ。

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久しぶりに更新。
間が空くと一体何をネタにすれば良いのかわからなくなるだろうなと思ってた通りになったけどとりあえずなんか書いてみようかねとメモ帳を開いてみましたコンチニハ。



フェス未遂が続いてフラストレーションが溜まっていた中、
ようやく行って参りました
J-WAVE SUMMER JAM2017】

そもそもが音楽足りてないので、“大音量で音がなっている”というだけでジーンとしてしまう、感動沸点低すぎだろ状態で行きましたが、
いやー、それにしても良かった!!

(このまま書くと一人で盛り上がって支離滅裂になりそうなので、あーコムアイちゃんについても言いたいとか思いつつも冷静になって書くこと絞ります。深呼吸ふぅーっ)

ユニコーン
星の数ほどファンの方々がいるなかで
何か言うことすらすみませんという感じもあるけど、
笑っちゃうほどかっこいいおじさんたち。
「長い活動の中でいろーんなことそりゃあったけど、やっぱね、これが楽しいのよ俺たち。」
って言ってた。
いやウソです全然言ってません。
言ってたのは「曲がちがーう!」くらい(このゆるMCがまたカッコいい)。
ライブが語っちゃってた、ってのが正しい。
そしてまた会場の若者と元若者の嬉しそうなこと。
この場にいることの幸せや高揚感が、空気中に溶け出していて、あーなんかもういいなぁ~って。

そんな風景を見ながらぼんやり頭をよぎったのは、
やっぱり今振り子は完全にリアルに振れてるなってこと。
よく考えたら数万人が誰もスマホを見てない(であろう)環境ってすごくレアだと思うし、
この瞬間この場でドキドキしたり感動したりしたくてこれだけの人が集まるんだなと。
奥田民生ただ唯一その人が弦に触れないと、
あのグレッチはあの音を出さない。
そういう世界。

そしてふと、
そんなリアルが欲されてる時に、
無機質な四角い画面から一体何を生み出して伝えるべきなのか、
少なくとも便利さとか情報だけじゃない、直接でも間接でも心をリアルに動かすものじゃないとダメだよなぁ…
なんて、一人思考トラベルしたのでした。


さてライブのトリはSuchmos
トリです。
トリかよすごいな。
この日私が一番見たかったバンドは、私の想像など軽々と越えて、
そこに立つべくして立った、トリの中のトリ、ザ・ベストオブ・トリ、トリ・オブザイヤーとして(しつこい)
ライブを締めくくりました。
これ以上何も言いたくないので、興味がある方は生で観るのがオススメです。
もうそれだけ。
とにかく私は、この人たちきっとすごいはずと思い続けてた予感が確信に変わったことが今とても幸せ。

(ちなみに彼らを見た夫の感想は「なんか、すごい悔しい」だそうで。どの視点だよと思いつつ、わからなくもないと思うほどの圧倒感でした)


さて、この間うちのちびモンスターたちはどうしていたのか?
彼らは初めて会場内の託児スペースに預けられておりました。
一人7000円×2=14000円
ヴ。高い…。
のか??
ベビーシッター頼むよりは全然安いがチケット代とたいして変わらないというこの絶妙な価格設定にモヤモヤしながらも、
まぁ一緒にライブに行ったと思えばいいやと申し込んでみた。
子供たちには「新しい保育園を見学するよ~」とか適当なこと言ってごまかして送り出したが、
結果的にはとても楽しかったよう。
5時間後に再会したときには、二人ともお弁当を完食したこと、おもちゃがたくさんあったこと、保育士さんと仲良くなったことを、大量の風船のお土産(かさばるいらない)を抱えながら嬉しそうに話してくれた。
うむ。一人7000円、合格。
こういうものは積極的に利用すべきだと学んだ。



かくして、
鮮やかに充電されました。
久々に音楽の中で溶けるような体験をして、
自覚もないままシワシワカチコチになっていた心が潤いで満たされました。
さらに欲張るなら
あとビール2杯飲んで
あと30メートル近くで
見たかったナー。
まぁ、次回。


ぼくのまわりは誘惑だらけ
うれしいね

素敵な選TAXI。

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素敵な選TAXI”というドラマがあった。


2,3回しか観てないけど、渋みが増した竹野内豊のゆるい演技がなんともクーッッ!と来る作品だった。
トーリーは、タイムスリップできる不思議なタクシー(この運転手が竹野内豊)に乗った乗客が、人生の何気ない選択をした瞬間に戻って、別の選択肢をもう一度生きることができるというファンタジー。
選択肢=選TAXIっていうやつね笑。

こんなタクシーがあったらなぁと思う人は多いだろうな。
私とて、あの時選択を間違った!というほどのは幸いにも今のところないけど、
違う道を選んでたら今頃どうなってたんだろうと思う“重大選択”はいくつもある。
そして恐ろしいことにそれはたいてい後になってから“重大”だったことがわかるのだ。
あーあの時プランBを選ばなくてほんとに良かった(もしくは選んでたらもっとバラ色だったのでは)って…。


それにしても日常は選択に溢れてる。
朝食をパンにするかごはんにするか、
何を着てどこへ行って、
誰と何を話して、
仕事でどんな決断をし、
電車で席を譲るか譲らないか、
子供に何をさせ何をさせず、
お風呂が先かごはんが先か、
子守唄か絵本読みかはたまた両方か
……
たぶん1日に100回じゃきかないくらい選択を迫られてるんじゃないだろか。

そして私の場合ストレスや悩みの多くは
選択に関するものだなと気づいた。
「どうしようかなぁ〜…」
と選択に迷って決められないことや、
「あんなこと言わなきゃよかった」
など、既に選択してしまったことへの後悔が多い。

おまけに私、白黒はっきりしないことが苦手。
うやむやなこと、グレーな状態ってのがほんと体がムズムズするくらいダメで、
誰がいつまでに何をするか、みたいなのがスッキリ決まってないと落ち着かない。(実際はグレーにしてることばっかりだから表向きはそう見えないだろうけど…)
そんなギチギチしなさんな、
曖昧なこととうまく付き合うことこそ粋ってもんよぅ、てやんでぇ!
と心の中の江戸っ子が囁いてくるのを感じつつ、なかなか変われない。


でも、
そんな選択コンプレックス気味の私も、
一つ自分ルールを作ろうと思う。
それは
“その選択によって5年後幸せになれるか”
ということ。
ちょっとこれは大事なことなんじゃないかと思う選択に向き合った時、近い未来に思いを馳せてから逆算すると、おのずと選ぶ道が見えてくるかなと。

目の前のことにあたふたして、不安になったり迷ったりしがちだから、
意識して視線をちょっと遠くに投げること。
その結果今がなんだかチグハグに思えても、あーこれで良かったんだと思える時が来るやもしれぬ、と期待してみたい。



人生の夏休みもあと数日。
またあの目まぐるしい両立生活が始まるのかと思うと、ちょっと心臓がきゅうっとするけど。
心の筋トレでもして臨みたいもんだけど。
まぁここ2年について一つだけ言えるのは、
案外流されなかったということ。
迷いつつも、結果的にはやりたいことをやり、行きたいところに行き、言いたいことを言ってきた。
他人が世間がどうであれ、なんだかんだちゃんと自分の選択をしてたじゃん私、
と、たまには自分を認めてやろう。
(もちろん好き放題させてくれた周囲に最大限の感謝をしつつ!)

また来週からあたらしい生活を楽しみます。
これも5年後の幸せを見据えて自分で選んだ道。
なるべく視線を遠くに投げて、マイペースに過ごせればなぁと思います。


このブログもさらにゆるゆるの投稿になりそうだな…
まぁひとまずごきげんよう
私はすこぶる元気です。
明日はホットヨガデトックスしたあとお酒でチャラにしますよハハハ。


乱れし言葉。

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言葉遣いが悪い。

いやほんともうね、いい大人が使うとあ〜ぁってなる言葉ベスト3
「超」
「めっちゃ」
「ヤバい」
を、なんならうっかり3コつなげて使っちゃうんスよ私。

テレビ見ててキ◯タク様に「いや〜そろそろその喋り方はまずいんじゃないか」ともう10年くらい思い続けてるけど、
あちらはもはやお家芸化してるのであれで良いのだ。
問題は一般人かつ人の親である自分のような人間。
品がないわ。
教養がないわ。
お里が知れるわ。


でもそもそも何でこんな乱れた喋り方なのか。
生まれも育ちもザ・中流家庭だが、親の言葉遣いが特別悪いわけじゃない。
むしろ両親は割と品のある話し方な気がする。
しかし、いつからか心に潜む、正しいもの上品なものをぶち壊したくなる衝動(“中学生男子的スピリッツ”とでも言おうか)が
口から言葉となって溢れるようになったんだと思う。

大学生くらいの頃はけっこうひどかったな。
人間の薄っぺらさを上塗りするかのような喋り方。今さらながら後悔している。


そして社会人になって少しは気をつけていたこの喋り方が、
男子2人を相手にするかーちゃんとなった今、恐ろしいことに復活してきてる気がするのだ 。
「うぉーいっ!まてこら!」
「うるっせー」
「ざっけんな!」
ヘッドロックしながら歯磨きさせたり、フル◯ンで走り回る次男をオムツ片手に追いかけ回したり、散乱したトミカ踏んじゃってウォーッ!って絶叫したり、
なんかもうヤンキーですか?!っていう毎日…


話はそれるが
“主人”という言葉がほんとは嫌い。
上品な奥様感あふれるこの言葉、なんか感覚的にイヤなのよね。ついでに“奥さん”“妻”も嫌い。
あなたが主で私は副か?っていう感じがどうもムズムズするし。
なので主に“ダンナ”という江戸っ子な呼び方でごまかすことが多いが、こちらにはまたヤンキー感がつきまとう。
なんか良い呼び名はないかしら。
ハズバンド?
ハズバンドね〜笑。


そして息子たち。
保育園効果もあり、着々と言葉が乱れていく。
3歳まで女の子に間違えられてたような、かわいい系の長男も、
「あいつ、ダメじゃね?」
「◯◯してんじゃねーよっ!」
なんて言うようになってしまった泣。
それを追うかのような次男
「うぉっしゃーっ!」
とか言いながらおもちゃをブン投げる。

さらに、汚い(とされている)ワードが大好き。
愛読書の“うんこしりとり”に続く新刊“おならしりとり”も大ヒット。
寝る前にパパ自作の(宇宙一くだらない、汚いワードてんこもりの)お話も大ヒット。
腹を抱えて笑ってる。


でもね、
その隣で私もクスクス笑いをこらえてるのよ。
よしよし、しめしめ、乱れてきたな、と。
いつか中学生男子的スピリッツが君たちに芽生えてきたら、
私、わりとわかってあげられるかもしれない。
共鳴する部分を見つけられるかもしれない。


案外、男子のかーちゃんに超めっちゃヤバいくらい向いてるのかもしれないなと思う今日この頃です。


着る服がない。

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“何を着たらいいかわからない。”

たぶん今まで2000回くらいそう思ってきた。
クローゼットにはたくさん服があるし、
世の女性の平均に比べたら毎シーズン新しい服も買っている方だと思う。

なのに。
着る服がない。

1年で一番ファッションが楽しい春がそこまで来ている。
そして毎年この時期には
「つーか去年何着てたっけ?え、これ?!」
ってなる。
そして足りないものをちょこちょこ買い足す、というのが例年の流れ。

けれど自信がない。
洋服は好きなのに、どう選び、どう着たらいいのかがわからずなんとなく不安なまま、こんな感じでいいんでしょうか…と申し訳なく着てる、って感じ。
(好きなのに苦手、ってよく考えたらそんなんばっかだな私。苦笑)

人生ナビゲーター的な神さまみたいな人が現れて、
「あなたはこれが似合うからこれを着なさい、そしてこれを食べてここへ行ってここに住んでこんな仕事をしてこんな趣味を持てば、必ずや幸せになれます。」
とか教えてくれないかなーといつも思う。
そんな人生つまんないのかな…。
うーん。

そして不安な結果何が起こるかというと、
同じような服が揃う。
クローゼットをあけると、そのグレーとボーダーっぷりに我ながらびっくりする。
グレーの濃淡とシルエット、そしてボーダーはピッチと生地の違いのみ。バリエーションだけは自慢できるぜ。
そういや昔ドン小西のファッションチェックに声をかけられて、
「あなたは冒険しない人ね、無難なのばっかり選ぶでしょ。」って一言。
で、謎のベビーピンクのニット帽みたいなの被らされたけど、よっぽどつまんない取材対象だったんだろう、結局オンエアされなかった笑。


もうそろそろパーソナルスタイリストなるものを試してみようかなーと思ったが、
その前に一つ気になるサービスがあったのでトライしてみた。
月額のオンラインファッションレンタルサービスだ。
・自分では選ばない服との出会い
・コーディネートの提案
・それらをオンラインで提供
こうしたことをどうやってやるのか、
はたまた利用者はどんな気持ちなのか、(トレンド的には若干いまさら感はあるものの…)興味があったのでひとまず一カ月やってみた。

結果。
うーーん、惜しかった…。
確かに画期的なサービスではあったけど、私には合わず。

だけどやってみていろんなことに気付いたのは収穫でした。
◼︎意外なほどブランドを気にしてた
送られてくるのはほとんどが無名ブランド。
私が知らないだけかもしれないけど、知らなければノーブランドと同じこと。
かわいければどこのだって構わない、って自分は思ってると思ってたのに、こんなにも“どこのだよコレ”感。
ブランドの威力と安心感に思いがけず気付かされたのでした。

◼︎好みと挑戦のサジ加減
やる前から気になってたポイント。
事前に体型や服の好みを登録して、それをもとにスタイリストさんが服をセレクトして送ってくれるというものなのだが、
好み通りのものをそのまま送るのでは芸がないので、“自分では選ばないもの”を提案してくれる。
が、そのサジ加減がなんと難しいものかと思い知らされる。
ボーダー好きだけどさ、太い赤白しましまのウォーリーみたいのは私には着る勇気がないんだなぁ…惜しい、惜しいよ。
(来た服へのレビューを繰り返すことでニーズのズレは解消されていきそうなので、もっと続ければ変わってくるはずなのですが)

◼︎オンラインの限界?
サジ加減の話にも関係するんだけど、
対人コミュニケーションがない状態でどこまで「あーこれこれ!」ってレベルまで持って行けるかってすごく難しいなと痛感。
家にいると外で買い物してる時の高揚感や店員さんの一押し、時間の制約もないわけで、良くも悪くもすごく冷静。
その冷静な目で“他人が選んだ服”をジャッジするわけだからそりゃ厳しくもなる。
セレクトの精度か、服の調達システムか、価格か、相当な付加価値がないとオンラインのハンデは越えられないのかもと感じたのでした。


と書いたもののこのサービスを否定する気は全くなく、むしろやっぱりすごいなと思う。
特に買い物やファッションがあまり好きでない(というか得意じゃない)人にとってはありがたいサービスなはず。
接客されるのがイヤという人が6割とかいうデータもある中で、多くの人を幸せにしていると思う。

ただ、何冊でもファッション誌眺めてられる、一日中買い物してていいよって言われても全く苦じゃない私みたいなタイプにとっては、もっと多くを求めてしまうのも事実。
買い物もファッションも好きだけど、なんかもっとブレイクスルーしたい、でも時間もお金もかけられないって人たちにバチッとはまるサービスって、今のところどこにも見当たらないのです。
商機だよなーこれ。


ちなみに一番最近買ったのはグレーのリブトップスです。
誰かこのグレースパイラルから私を救い出してください…



免許にまつわるエトセトラ。

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意地悪な(しかし何かとお世話になっている)友人が、私の免許にまつわるエトセトラを書けと言っているらしいので書いてやろうと思う。

ふんっ。

もう2ヶ月以上ゴタゴタしていたのだが、
この件について書く気になったのは一旦幕引きになったからだ。

失効した免許の取り直し、諦めましたっ!!!



育休中の大きな課題、免許を取り直すぞ〜と張り切っていろいろ調べ、
更新忘れというアホすぎる理由で1から指定校に通い直すのも悔しいため、一番効率的かつ経済的な方法をと、試験場で受験する指定外校に入校した。
今思うとこの時点で既に考えが甘かったのだけど…
苦い経験から学ぶところも多かったので記録しますトホホ。

①【試験場受験をなめてはいかん】
これから試験場受験をしますなんて人はいないと思うけど、
教習所高いしめんどくさそうだから一発受験しようなんて軽い気持ちで行くならやめた方がいい。
現に免許取得者の95%は試験場に行かない指定教習所の卒業生。
そして試験場での技能試験の合格率はわずか5%(非公表なので概算らしいが)、仮免から本免まで全て一発合格する人は2%を切るらしい…。

し、知らなかった…
なんとかなるだろうとなめてかかっていた自分をブン殴りたい。技能試験に3回落ちてようやくなんかおかしいと思って調べたらこのような数字が出てきたのだ。
こんなの運動神経弱者(そんな言葉あるのか)の私が受かるはずがない。
教習所の先生に「皆さんどのくらいで受かるんですか?」って聞いたら
「うーん、平均で3、4回ですかね〜。10回とかもいますよ。」だって。
それ早く言ってくれよおじさん!

この一件でネガティブ情報の収集はほんとに大事だと痛感しました…
このまま粘って受け続けても復職までに間に合う保証はなく、また仮に指定校に入り直しても今から始めると半年かかると言われ、もはや打つ手なし、ジ・エンド。

この結末に至るまでの2ヶ月と◯万円、返ってこないかなぁ泣。


②【そういや運転が嫌いだった】
そもそもの話だけど…
免許があった頃も運転が嫌いだった。

あんな殺人兵器を乗り回すなんて気狂いの沙汰だと思ってるし、私からすれば首都高はジェットコースター、都会の駐車場は針にタコ糸を通すような神業である。

でもみんな「慣れれば楽しいよ」とか「毛嫌いしすぎだ」とか言ってくる。

いや多分その通りだし励ましはとてもありがたいんだけど、
運転=楽しいもの
という世間の常識のせいでこちらは居心地が悪いのだ。
免許を取るためにその違和感を押し殺してきたが、やっぱダメね。
嫌いなものは嫌い。しょうがない。

これからはラーメンを嫌いだと言う人がいたら
「えー!信じられない!あんなに美味しいのに…」とか言わずに優しく接してあげようと思います。
常識が人を苦しめるのです笑。



③【子供を抱えて自己研鑽するということ】
免許の再取得を“自己研鑽”と言えるかどうかは置いといて、
教習所に行く日は半日がかりなので、下の子を母や義母に預けて出かける。

わざわざ時間を割いて交通費を出して来てもらって無為な結果になるのはほんとに心苦しかった。
“子供を置いて自分のことをするのを申し訳ないと思う気持ち”は長男の時に散々味わって心の整理をつけてきたはずなのに、
あの呪縛から完全に放たれることはないんだろか。

必要なのは太めの神経と感謝の心。
わかってるんだけどねー。


④【世の中どうにもならないことがある】
思えば今まで様々な局面をゴリ押しや交渉で切り抜けてきた。
なんとかなると信じられる性分はO型で良かったなぁと思うし、その結果欲しいものを手に入れたり希望を通したりしてきた。

でも。
そんなもの全く通用しないこともある。

私「一体何が悪くて不合格なんですか?」
教官「それは言えません」
私「・・・」

私「子供のお迎えに間に合わないので試験結果を後日取りに来てもいいですか?」
教官「それは絶対ダメです、なんとかしてください。」
私「自治体の条例上どうしてもこれ以上保育を延長できないのですが…」
教官「ではあなた試験場受験ムリですよ。おやめになってください。」
私「・・・(泣)」

こんなやり取りが何度もあり、心がすり減りました。
教官は警察官。剣もほろろ…。
関係ないけどあの試験場の刑務所みたいな雰囲気と、臭い和式のトイレも大嫌いだった。

世間は厳しい。
3◯歳にして改めて自分の甘さを知りました。




なんだか長〜くなりましたが、
打つ手がなくなって諦めた今の気持ちは

あーーー、スッキリしたっ!!!\(^o^)/

物理的に無理だということがこれほど人を解放させるとは!
久しぶりにビールが美味い。
タコとクレソンのサラダが美味い。
子供にいつもより優しい。

人生諦めも肝心。
残りの育休を余すところなく充実させようと思いますフフフ。

踊りたい踊れない。

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得意なことは少ないが、苦手なことは多くそしてはっきりしている。

 
その一つが、
ダンス!!
 
みんなよく踊ってるよね。
というかここ数年ダンスがかなり一般化してないか。
こんなに誰も彼もどこでも踊るような国だったかしらニッポン。
小学生の授業で必修化って運動会以外でも踊るんですかハーすごい時代になったもんだ。
 
別にダンスが嫌いなわけではない。
むしろ、周りに何人かいるダンサーちゃんダンサーくんたちが羨ましくてしょうがない。
だって文句なしにかっこいいんだもん、
いいないいないいな。
ブルーノマーズも星野源マイコーもAKBも
私はいつだって口を開け目から星を飛ばしながら動画を見てるのだ。
 
なんでしかし踊れないんだろう私は。
いやウソわかってる、ダンスには運動神経というか身のこなしのセンスみたいなものが必要で、おそらく私にはそれが著しく欠けている。
ちょっと物を落としそうになった時のとっさの動きが意味不明だったり、
ライブのノリ方がいまいちダサかったり、
3秒走るだけで体育の黒歴史が蘇ってしまったり、
たぶんそういうこと。
 
中目黒は山手通りでEXILEキッズたち(やそのママたち)とすれ違う時に妙に身構えてしまうのは、
その派手な外見に警戒してしまうだけじゃなく、羨望と劣等感の混ざった変な気持ちになるからなのだ。
 
 
って前置きはどうでもいいんですが、
最近“恋ダンス”を毎日踊っている。
今さら?
ええ今さら。
悪いか。
(ドラマ観てなかったんだよなー…すごい後悔しております泣)
長男の保育園でも練習しているとのことで、こりゃ一つ息子と踊れるものがあったら楽しいんじゃないかと始めてみたら、
これがなかなかに楽しい。
たぶんセンスの良い人の何倍も時間をかけて、振りの解説動画を見ながら練習する日々。
子供たちも巻き添えで、なんとか形になってきた(気がする)。
 
TRFのダンスエクササイズDVDについていけず、フォーチュンクッキーも中途半端に終わった自分が、恋ダンスは最後まで踊りきったことに小さな成長を感じずにはいられない。
日々是精進。
 
 
 
しかし薄々気づいていた問題が一つ。
 
踊れるようになって私どうするんだ? 
 
保育園で私が踊るわけではないし、
インスタに動画をアップするなんて習慣はない。というか理解できない。
でもせっかく踊れるようになったのにもったいないなー
二人を超えていけ〜♫のところで向き合って踊ってくれる人いないかなー
 
 
というわけで誰か一緒に恋ダンス踊ってくれませんでしょうか。
カラオケにでも行きたいけど誰を誘っていいかもわからないし。
 
奇特にもこれを読んで踊ってもいいかなと思った方がいたら
コートダジュールのファミリールームに集合しましょう。