悪あがきブログ。

ママで妻で“働く”女のつれづれ日記。

大晦日のつれづれ。

 

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ブームが去ってからの今さら投稿で恐縮ですが(いつもそうだけど)、

「読みたいことを、書けばいい。」

がなかなか良かった。

 

今年からお仕事で文章を書かせてもらうようになり、進まぬ筆と迫る締切りの間で七転八倒し、反省と後悔と少しの希望を胸に次の原稿に取り掛かるという、世のライターさんの気持ちがよーーーくわかった2019年。

 

この本を手にしたときは、どうせ自分の物書きとしての至らなさを突きつけられてヘコむんだろうなと思ったのですが、意外なことに「私、ちょっと良いライターかも」と思って本を閉じることになった。

(あああ、「お前ふざけるな!その程度でどこが良いライターだ勘違い甚だしいんじゃボケ!」という世間の声が聞こえるが、どうか大晦日に免じてお許し頂きたいあぁごめんなさい・・)

 

と言うのも、タイトルである“読みたいことを書く”というこのただ一点においては、今年の自分に合格点にあげても良いかなと思ったから。原稿には読み手がいて、それを誰と想定するかで書き方も内容も当然変わるわけだが、やっぱりどうしても「自分が読みたくない文章にはしたくない」という思いが心のどこかにあり、拙いながらに(そして半分無意識に)そこにこだわっていたなと気づいたのだ。

 

本の要旨はたぶんこういうこと。

なんちゃってライターが星の数ほどいる今、文章力で一旗挙げたり真新しい論を説くことは至難の技。だいたいのことはもう夏目漱石あたりで書き尽くされている。だったら自分が一番の読者になって、愛をもって書く対象に向き合い、とことん自分が納得するまで書けば良い。

無論、与えられるテーマがある場合、すべてが書きたいことにはなるはずはなく、興味すら湧かないものもあるけれど、そうなったら“好きかも”と思うポイントが出てくるまで調べ尽くせば良い。書きたいという熱量を持って書いた文は、たとえ数は少なくとも必ず誰かの共感を生むものだ。

 

ふむふむ。

わかるぞ、その感じ。

 

ー深夜、暗い部屋で腰の痛みに耐えながらキーボードを打って、自分で書いたものに自分で少し笑う、それが「書く人」の生活であるー

 

あれ、これ私のことじゃないか、、?

恥のかき捨てついでに告白すると、夜中目が覚めてすることがないと、過去の自分の文章読み返して「ここのとこテンポよく書けてるな」とか「うまいこと言ったで的なドヤ感出ちゃってる〜ww」とか一人読み返して楽しんでるんですよ私。

ヒマかよ。

 

ということで、自己肯定感低めの自分にとっては、そのスタンスで良いんじゃない?と言われたようで、なんとも有難い一冊となったわけです。

 

ところで、ライター向けであるはずのこの本がここまでヒットしたのは、林修先生がテレビで取り上げたことや、そもそも文章を書く人の総数が増えてることもあるんだろうが、“読みたいことを書く”→“やりたいことをやる”と置き換えると、みんなが自分ごととして読めるからなんじゃないかなーと思案。

 

働き方改革だ多様性の時代だと、これまで80年近く変わらなかった価値観を今変えないとヤバいぞと急に煽られて、世の中に感じる矛盾や怒りや恐れや楽観したい気持ちやごちゃごちゃしたものをどっさり抱えて、誰も彼もが自分探しをしている今。

でも、いつの時代も、どんな与件があっても、“やりたい”と思うことに勝るエネルギーはないものだなぁと思う。

 

私は今、やりたいことを突き詰めて生きていこうとする人に囲まれて、とても刺激的。

年の瀬には「やりたいことまたやろうよ」と声をかけてくれる友人もいて、ありがたい限り。

でもそこに思い切り乗っかっていけるだけの気概もパワーも持ててないというのが正直なところ。アクセルを踏むつもりはあるのに、結果的に徐行運転しかできてない感じ。

 

思えば2019年の抱負は、“大人になんてなるもんか” だった。過ぎてみると、だいぶ“大人”に甘んじてしまってた気がする。

やりたいこと、なんだったっけなぁ。

大人サイドの自分がだいぶ蓋をしてきたことの、あれやこれや。

 

2020年は、解放の年にできたらと思います。

 

お酒飲みながらぐーたらテレビを見てる横で、見えない敵とアクロバティックに戦って汗だくになってる次男を見て、なんとなくそう思った大晦日

 

今年も大変お世話になりました。

来年が皆にとって良き年になりますよう!