自由の下手くそ。
「コロナが落ち着いたら」
を枕詞のように使ってしまう今日この頃。
このままじゃ本当に落ち着いた時にめちゃくちゃ忙しくなるんじゃないか私。
コロナに関係ないことの言い訳にまで使ってはいけません・・・
それはそうとこの騒動、ちょっと前まで予想しなかったような大問題になってますね。
私の友人も何人か感染拡大が深刻な地域にいて、とても心配。どうか彼女たちが無事で、そして日本でも早く事態が収束することを心から願います。
翻って私たち家族の生活はというと。
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長男:休校3週間で春休み突入。居場所がほぼ毎日変わる。
次男:通常運転(保育園)。
夫:通常運転。
私:仕事は通常運転。頭と体はコロナ対策でパンパン。
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この温度差に何かを感じる方もいるかもしれませんが、現代日本のリアルな縮図だと思って温かく読み飛ばして下さい。
うちの長男は体が弱い。
トレンドに敏感で、その辺に漂ってるウィルスはほぼ例外なく取り入れ、時代の最先端を行く7歳。
(昨秋から2か月おきに溶連菌→インフル→溶連菌。枝のように細い腕にはなかなか肉がつかず、お尻がクッションにならないので尻餅つくと痛そうだ。基本は元気なんだけどね。)
うちの校区は自治体のはからいで、共働き家庭のために昼過ぎまで学校が開放されており、そのあとは敷地内の学童に行くことも、実は可能だ。
でもこの状況で、トレンディな長男を人の多い学校に送り込む勇気がなかなかなく、、
リモートで繋げばなんとかなる仕事をしてるのもあり、結局休校以来一度も学校には行かず、今まで乗り切ってきた。
長男の居場所のパターンは
①自宅
②近所の友人宅
③週2の私立学童(ここなら預けて良いのかというモヤりMAXだが、職員が多いしお金払ってるからアリという無理やりな自己説得。)
④習いごと(ただしスイミング等ほとんどは休校)
②の、同じような境遇の友人との子供預かり合いはかなり助かった。
預けても預かっても、2人で遊んでくれるので、あの悪の呪文のような「つまんない」「飽きた」を聞かなくて済む。
遊んでくれてる間は、オンラインミーティングに変顔でフレームインされることもないし、必死に作ってる資料に文字化け風タイピングをされることもなければ、電話のうしろでおもちゃの音を大音量で流されることもない。
あぁ快適。
つるむと生意気さがヒートアップするのがたまにキズだけど。。
しかしそんな日々をずっと続けるわけにはいかず(なんだかんだフルリモートにはなれないので、どうしても預ける方が多くなって気まずい)、
さらには「何をそんなにヤキモキしてるのか、あちこち頼ればどーにでもなるだろ」的スタンスで、相変わらず深夜に帰る“大きい長男”にムッキーーー!!💢なわけで、先週一週間は子供2人連れて実家に“疎開”してた。
(何かを感じる方もいるかもしれませんが、現代日本のリアルな縮図だと思って温かく読み飛ば…)
しかし疎開先でも、70歳前後の父母がヤンチャ盛りの男子2人を一週間も相手にするのはかなりヘビーな様子で、ちょっと肩身が狭かった。
なんだかなー、
どこでどう過ごしても「これで良いのだ!」ってなれなくて、気づけば夜になると胃がしくしくと痛む毎日。
なぜ、休校以来こんなに居心地が悪いのか?
ずっと考えてたんだけど、それは私が(いや恐らく私以外の多くの日本人も)“自由”の扱い方がものすごく下手だからなんだと思う。
休校になったことで、子供たちは自由になった。
何をしても良い。時間はたっぷりある。
(もちろん小学生と言えど学生なので勉強が本分だという認識はある上でね)
そして親は自己責任で子供の行動範囲を決め、無限とも思える選択肢の中からその時間の使い方を決めなければいけない。
決めなければいけない?
ほんとにそうなの?
前代未聞の事態に、さまざまなコンテンツが善意の(そしてまたとないPRチャンスとしての)無料公開となり、
私もたくさんダウンロードした。
放っておいたらマイクラやりまくって近視のゲーマーになっちゃうからと、ブックオフで大量に教育系マンガを買い、ダイソーでブロックと塗り絵をコンプリ買いし、
恐怖の「つまんない」を聞かないで済むよう、
3週間もの“自由”を有意義なものにするよう、
なんとかして時間を埋め、仕事もディレイさせないよう早起き残業して。
でもきっと自由ってそういうことじゃないよなぁ、自由はいざ与えられると自由に使えないんだなぁ、と愕然としたのです。
イタリアでは、外出できない人たちが平日の昼間からバルコニーで楽器を弾いて歌って、ご近所さんとセッションしてるらしいですね。
思えば私の子供の頃はヒマな時間が多かった。天井のシミとかボーーッと見てた思い出がたくさん。
何も成長しない、
何も達成しない、
けど、誰がその時間を無意味だと言えるんだろう。
あるべき論に振り回されて、
自由な時間も何かをなし得ないといけないと思って苦しんでしまう自分に、今回の騒動で気づけたことは良かったかもしれない。
そして不謹慎コールを恐れてか皆大きな声では言わないけど、今回の騒動のおかげで、これを乗り越えた時に大きなパラダイムシフトが起こると期待してる人も多いはず。
「うちは業務的に出社しないとできない仕事なんでねぇ」と思考停止のおじさんたちがリモートの波で一掃されて、
健康が何よりも優先されるという共通認識ができて、
ジェンダー格差と旧態依然の教育が改めて明るみに出て、なんとかしなきゃという風潮が強まるはずだ。
ついでに天井のシミをボーーッと眺める時間もいいよねってなるような、
くだらない自由を楽しめる余裕のある価値観がじわじわ来たらいいなと思う。
たまには仕事も圧縮して、なーんも成長しない1日を子供と味わってみようかなぁ。。