悪あがきブログ。

ママで妻で“働く”女のつれづれ日記。

休校野郎。

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休校になってちょうど2ヶ月。

小2&年中の兄弟が揃って家にいるようになり、習い事も学童も休みで完全な自宅生活になってからは1ヶ月になる。そしていつの間にかGWなのか何なのかよくわからない連休に入った。

100%リモートワークwith家族。

多くの人が悲鳴をあげているけど、やっぱり仕事にならなかった。効率は良く見積もって通常期の7割。

だとすると、7割を見越してもともとの6時間の時短勤務を1.5倍して、プラス3時間を確保すべく5時に起きる生活を心がけていたが、「ママ起きたぞスイッチ」が内蔵されている次男が6時に起きてきたりするので、私の静かな朝仕事はかなりの確率で崩壊する。あぁやりづらい。やりづらすぎる。

もっとも、想像を絶する思いをしながら生きてる人がたくさんいる中で、こんな状況は平和なものだし、やる仕事がまだあることをむしろありがたいと感じてる。

今ほど「ありがたい」は「有り難い」だと皆が感じたことなかっただろうな。日常の脆さと“平凡な日々”の貴重さを、世界が同時多発的に共有してるってすごい。

と同時にアフターコロナの価値観転換がちょっと怖くもあり。平凡な日々を守るべく「ぼく、公務員になる!」的な安定至上主義な若者がさらに増えるんだろうか。別にそれが悪いとは思わないけどさ、少年が大志を抱ける世界にしていけるんだろか?考えることは山積みだ。もんもんもん。

 

話がそれたが、

「休校中の過ごし方」

これがとても悩ましく、しかし学びが多くもあるので今後のためにメモ的に残しておきたい。

 

◾️有意義の呪縛

コロナ禍の生活を少しでも前向きに捉えるべく、“なかなかこんな機会ないから”と、世の中チャレンジ三昧だ。

 

街には走り慣れてない初心者ランナーが増え、

美味しそうな手料理の写真がSNSのタイムラインに溢れ、

新たな趣味、読書、子育て環境の充実化…などなど

素晴らしいじゃないか。とても良いことだ。皆が逆境の中で有意義に過ごすべく頑張っている。

 

でもこの“有意義に過ごさなきゃ”プレッシャーが一番キツかった。

 

朝、子供を起こして身支度をさせ朝食を食べさせ歯磨きをさせ、宿題を見てから本格的に仕事に入る。ここまで完了するのもけっこうパワーを使う。

その後彼らは放っておくとゲームをしたがる。“30分タイマーが鳴ったらゲームをやめ他のことして目を休める”なんてルールも作ったが、そんなもの初日から破られる。なぜなら管理ができないから。“理想的な”遊び方をさせようと思ったら、30分おきに声をかけ別のことへの興味を促し、自走させるためにちょっと一緒に遊ぶ必要がある。それで仕事がまともにできるはずがない。かくしてゲームは放置され、部屋は荒れ、子供たちは目と姿勢が悪くなる。

そして今回厄介なのは、外で好きに遊ばせられないこと。せっかく自宅で過ごしてるのに、うかつに子供の多い公園で遊んで感染させるわけにいかない。なので、仕事を切り上げて気乗りしない子供たちをどうにか連れ出し、空いている場所を探して遊ばせる。

そして、こうした努力をしたところで、子供にはなかなか伝わらない。朝起きるなり、おはようも言わず「もーつまんない!」と言われ「また仕事?そんなのやらなくていいじゃん!」と怒られる。麺類メインの昼ごはんに飽きたと食べ残し、でもお菓子とアイスの消費量だけはハンパない。イラッとした次の瞬間にも牛乳をこぼされ「ママ〜」。

 

やってられないぜチクショー!!

 

あ、心の声が…

仕事・家事・育児とは、時間で分割されていたからなんとか回っていたのだと、この状況になって初めて気づいた。全てを同時にこなさなきゃいけなくなると途端にジェンガのごとく全体が崩れ、親子ともどもストレスが溜まる。

この状況で“せっかくだから有意義な時間を過ごそう”は酷なのだ。気にしなきゃ良いんだけどさ。やっぱ私がダメなんだろかと思ってしまう、世の中の空気よ。

 

でも、健康で感染もせず(たぶんね)、政府の呼びかけを守り、毎日3食食べてぐっすり寝てるだけで十分頑張ってるんだと思う。

私たちエライと思わないと。

「生きてるだけで丸もうけ」って歌があった気がするけど、ほんとその通りで。まさかこんな形で実感するとは思いませんでしたよハイ。

 

◾️オンライン授業、無理

小2長男、まだ小さいとはいえこれだけ授業が休みだと、さすがに勉強しなくて良いのかと不安も出てくる。宿題はあるけど、せいぜい1日30分程度。今まで5.6時間あった授業とは大きな差だ。

なので各社が出してくれてるオンライン授業や教育系の動画など、一つでも興味が出ればと思い、いろいろ見せてみた。

が、結果は全滅。

どれもこれも飽きちゃってつまんないらしく、最後まで見たことがない。マインクラフトの攻略動画なら何時間でも見るくせに…。

なぜか。観察するといろいろわかった。

・1対1、かつ直接コミュニケーションの図れない授業は苦痛

・そもそも勉強して知識を身につけたいというモチベーションが低い

・テンポの速い動画に慣れてるので、教育動画の丁寧さを、まどろっこしく感じる

 

試しに一緒に視聴して「この先生画面ちかっ!」とか「字ちっちゃ!」とかひたすらツッコんでたら割と楽しく見てたけど、それでも最後まではもたず。

オンライン授業、夢のツールかと思われましたが(個人差はありそうだけど)うちの子には無理でした。

少なくとも自走はしないので、どうせ付き合うなら自分で教えるわ!ってなっちゃった。

なかなか難しい。

 

◾️人間は食べるために生きている

義実家に「マンガ日本の歴史」を送ってもらったので、久々に読んでみたらこれが面白い。

縄文時代の人々は狩りがメインの生活で、土器や狩猟道具が作られ、稲作が生まれ、米の採れる土地に移動して暮らしー。

なんか、はからずも“人間は食べるために生活する”という動物としての本質をしみじみ感じてしまった。

 

そうなのよ。

きっと今みんなが食べることに向き合っている。

ほかにやることがないという側面もあろうが、先のSNSを彩る手料理画像もそれを物語る。

できるだけ美味しいものを、身近な人と(一人暮らしの人はバーチャルで食卓を囲む選択肢も出てきた)、できるだけ楽しく食べたい。

至極ありふれた欲求がなかなか叶いにくい世の中になっていたことに気づき、ならばそこに向き合おうとする人たち。私とてその一人だ。

 

縄文時代の人が今の状況を見たら、こいつらやっと気づき始めたのか!と思うかもしれない。食べ物を生み出す以外の仕事なんて、もともとは暇つぶしだったのだ。食べ、生きて、種を保存するのが人間の原点。

 

だから今日も美味しいものを美味しく楽しく食べたい。子供たちにも、その素材を作った人と流通させた人、調理した人にリスペクトして、食卓を大事にする人になってほしいなと思う。

 

この状況が落ち着いたら、きっと食の世界にも大きなパラダイムシフトが起こる。流通だけでも、外食・中食・テイクアウト・自炊の間に無数の選択肢が生まれ、楽しさも増すはず。

公私とも、何か少しでも力になれたり、関われたら良いなぁ。美味しいものは人を元気にするから。

 

 

とにかく。

早くもとの世界に戻りますように、と言いがちだけど違和感がある。

戻ったらダメなのよ。

あらゆる気づきを紐解いて、もっと良い世界を作りましょう、がきっと正しい。

 

珍しく真面目に終えてみます。

明日はタコ焼きパーティーでもしようかなー。