悪あがきブログ。

ママで妻で“働く”女のつれづれ日記。

サングラス。

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散歩が気持ち良い季節になってきました。


分厚い上着を着なくていい開放感がたまらない。
冬の間は、自分と子供2人の上着を着たり脱いだり持ち歩いたりするのがほんとにめんどくさかった。
もともと小荷物派なので、ベビーカーが上着の山でこんもりするのが我慢ならない。
子供グッズ入りの大きいバッグ持ってるのに、そこに上着の山があって、さらに買い物してレジ袋なんて下げたらもう“ハウルの動く城”みたいになるからね。
うっかり子供をベビーカーから降ろしちゃうとバランス崩してベビーカーは後ろにガッシャーン!
荷物グッシャー!
私はキーッ!!
でございます。

だから上着がないスッキリ感がかなり快適。


そして春はまた紫外線の季節でもあります。
この時期、私が毎年その扱いに悩ませられるもの。

それは
“サングラス”。

どうも目が焼けやすいらしく、
強い日差しの中にちょっといるだけですぐに目が痛くてショボショボになります。
なのでそれを防ぐサングラスは必需品なのですが…

どうして堂々とかけられないんだサングラス。
なんでちょっと恥ずかしいんだサングラス。
似合ってるのか不安になるのよサングラス。
徒歩圏内でこそ使いたいのにサングラス。
かける街を選んでしまうのサングラス。

「あ、いえ、気取ってるわけではなくほんとに眩しくてかけてるんです」
と常にアピールしながらかけることはできないだろうか。
普通の人が普段着で、まして子連れでかけてると、なんだかチグハグした頑張ってます感が漂ってしまうのですよサングラス。

そして夫もけっこうサングラスかける派なのでさらに厄介。
休日は夫婦ともサングラスで行動することが多いので、もう私の心の中はザワザワし通しです。
『わわわ、なんか視線感じる…、勘違いファミリーだと思われてるかも、大しておしゃれでもないのにイタい感じ??…あぁ外してしまいたいけど眩しいし紫外線あびたくないよー…てかなんで夫は堂々とかけてられるんだなんかちょっと悔しいんですけど…あーもしも私がモデルみたいな外見でこなれたファッションを着こなすような女子だったらこんなこと考えないんだろうにちくしょー………』

的な。


しかしまぁサングラスはコンパクトで軽くてカチューシャ代わりにもなる便利な奴だしやっぱり必要だ、ごちゃごちゃ気にするまい、他人の目に打ち勝て、胸を張るのだ私!
と勇気を奮い立たせる。

だが、今度は下の方から視線を感じて見下ろすと、
サングラスをかけた私を見て
“ニッヤ〜”
と次男が笑っている。

完全に小バカにされてるよねこれ。

負けない。
負けないから。


……………………………

全く違う話題ですが…
九州の地震でたくさんの方が大変な思いをされているようです。
何かささやかでもできるだけダイレクトに届けられる支援はないかなと思ってたら、
ふるさと納税で自治体を指名して寄付ができることを知りました。
カードも使えるし簡単。
もしこれを読んだ方で迷っている方がいたら、オススメします!

新宿。

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新宿が嫌いだ。

だって新宿は人に厳しい。
こんなに厳しい街は日本中探してもどこにもないと思う。

思えば上京してから何かと新宿に縁が深い。
中央線沿いの大学に通っていたので
乗り換えや途中駅で新宿を毎日利用していたし、
飲み会や買い物はだいたい新宿だった。
田舎娘が歌舞伎町の洗礼に遭い、
朝まで遊んでいる人たちの多さに驚き、
その仲間入りをしたことの背徳感と優越感にたぷたぷと浸かり、
伊勢丹で売っているようなバッグを買う日は来るのだろうかと首をかしげながらよたよたと売り場を歩き、
でも手ぶらで帰るのは癪なので駅でちょっと贅沢な惣菜を一品買って帰る、
そんな毎日。

そして就職して3年目の冬に新宿に配属になった。
当時の職場周辺は治安が悪くてトラブルだらけ。
あぁ世の中にはこんなに様々な種類の人々がいるのだと思い知らされる。
防災センターのありがたかったこと。
仕事もまたディープで、
“肌荒れ&口内炎vs栄養ドリンク&眠眠打破”のバトルが毎晩繰り広げられ、
23時の生中ジョッキとラーメン全部のせに愚痴をトッピングし“ぷっは〜!”と締めくくる。
まるで止まったら爆発してしまう車に乗っているみたいに、アクセルを踏み続けてた。

その後、別の仕事に数年携わったのち
2人めの出産までの約一年は、また新宿に戻ってきた。
仕事内容や働き方は変わっても、また違う種類のアクセルを踏み続け、ノンアルコールで“ぷっは〜!”して、
朝焼けは夜の延長ではなく、朝の始まりとして拝むことになった。

こうして述べ10年弱、新宿を拠点にしていたわけだが、
今だに新宿を好きになれない。
空が狭いし、
空気は汚いし、
歩いている人の顔はなんとなく暗く(みえて)、
迷宮のような駅から、
毎日世界一の数の乗降客が街に吐き出され、飲み込まれる。
ボーッとしてると置いていかれる。
膨大なお金とエネルギーをもとに脱皮が繰り返され、
栄枯盛衰、諸行無常、発展途上
ふと顔を上げると、
「オマエまだそんなとこにいたの?」
と街に言われる。
新宿とは私にとってそういう街だ。

今日は久々に新宿に行った。
また新しい風が吹いていて、真新しい良い匂いがした。
この街で頑張っている友達とおしゃべりしながら
野菜多めのランチをして、
ちょっと良い化粧品と、ちょっとおしゃれなお土産を買った。

別にそれで新宿が好きになることはなかったけど。
やっぱり待っていてはくれない街だな、と思った。

でも。
自分にはそういう場所も必要なのだ。
癒しとも優しさとも無縁だけど、
少しの緊張とヒール靴(履かないけど)なしには乗り込めない、
両肩をガシガシ揺さぶられるような場所。
そういう街を心に持つことで、
大袈裟かもしれないけど、
生きていくための羅針盤のひとつになっているのかもなぁと思った。

そんな物思いにふける母の気も知らず、
ベビーカーの次男は終始へらへらニコニコ愛想振りまいてたけど。
男子がキレイなねーちゃんを好きなのは、
もう遺伝子に組み込まれているとしか思えない。
まったく幸せなもんだ。

てづくりかるた。

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ママがぼくのかるたをつくった。


まっしろのかるたセットをかって、ぼくのことをかいたよみふだと、そのえをかいたんだ。
まったく、へんなことするよな。
Oがたのくせにへんなとこマメだから、
やりだしたらやめられなくなって。
でもときどきしかやらないから、はんとしもかかってたよ。
てきとうなママだよな。

ママはぼくのイヤイヤやわるふざけによくムカついてるけど、
がまんするときはおくばをグーっとかむんだ。
ママはしらないとおもってるだろうけどぼくはしってる。
そしてグーっとかみながらムカついたことをよみふだノートにかいたんだって。
(それでもがまんできないときはヤンキーみたいになっておこるんだけどね。あぁこわい。)

でも50こもおもいつかないから、
へんなよみふだもあるけどね。
「ウォーッ!」とか「ダバダバ」とかね。
いみわかんないよね。

ママとかるたたいけつすると、だいたいぼくがかつんだ。
ママはひらがながよめるようになるといいとおもってつくったんだろうけど、
ぼくが「はい!」っていってえふだをとると、このこはてんさいだ!ってよろこぶんだ。
そういうのをオヤバカっていうらしいよ。

でもはんとしまえはぼくもまだまだこどもだったから、そのころのよみふだはもういまとちがうこともおおいんだ。
てんさいだ!とかいってるけど、
いろいろできるようになるのがちょっとさみしくもあるんだって。
タンポポっていえなくてタンポコ!っていってたのがなつかしいんだって。
せっかくできるようになったのにそんなふうにおもうなんて、へんだよね。
ヤゴコロってわからないなぁ。

それにママは、いましかない、いましかないって、いろんなことをあせってるみたいにいうんだ。
アイスクリームがとけちゃうからはやくたべなさいっていうかんじなんだよ。
じんせいまだまだじかんはたっぷりあるのにね。
おとなになったらわかるよ、
きょうがいちばんわかいんだよ、
ってさ。

ほんと、おとなってへんないきものだよな。
あしたもうんとこまらせてやろうっと。
おやすみなさい。

パン愛。

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パンは美味しい。

この世にパンがあってよかった。
小麦ばんざい。
酵母ありがとう。

学生時代の心残りはパン屋でバイトしなかったこと。
あの香りに包まれて働けたらどんなに幸せだろう。
トングでササッと袋にいれて口をクルクルっと巻いて「600円です」って言ったり
「ただいまクロワッサン焼きたてです!」とドヤ顔でお客さんの注目を集めたり、
「まだ温かいので袋の口は締めないでおきますね」とか言っちゃったり、
もしかして時々余ったパンを持ち帰れるかもしれない。
なんて素敵なお仕事。

でも何でやらなかったかって、当時は今ほどパンの魅力をわかってなかったんだよね。
お腹にたまるおにぎりの方がいいくらいに思ってた。(いやもちろんおにぎりだって美味しいものはとても美味しいんだけど)
もっと早く目覚めておけばよかったなぁ。

商業施設にパン屋が入ることも多いけど、パン好きとしては、どの店か入るかでその施設の格が決まる気がする。
VIRON、PAUL、メゾンカイザーあたりがあるとググッと締まるし、ビルイン出店しなかった名店なんかが入った日にはそのビルがなんだかもう輝いて見える。

でも有名店ばかりがパン屋ではない。
「町のパン屋さん」がもたらす幸福は計り知れないものがある。
初めてのパン屋は食パンかあんぱんから試すことにしているんだけど、
食パンなら硬めの耳ともっちり中身。
あんぱんは粒あん派、酒種入りのコシの強いパンと合わせたもの。
そんな好みに合うパン屋に運良く近所で出会えた。

昭和23年創業だというこのパン屋は、素朴な惣菜パンからバゲット、デニッシュ、サンドイッチまでどれも美味しくてはずれがない。
通勤前のサラリーマンやランチ時のOLさんでいつも賑わっていて、近所の学校の給食にも使われている。
長男の保育園のパンもここのもの。
ツヤツヤもちもちのロールパンはスーパーのそれとは全く違う。
羨ましいぜ長男。

家族経営なのか、時々男の子がお店の手伝いをしていたり、レジで世間話をしているおばちゃんがいたり、町内会の催しのポスターが貼ってあったりする。
パンの耳(20円)がレジ横で売られている時はラッキーだ。これをバターとシナモンと砂糖でカリカリに焼くとたまらなく美味しい。

いい町だなぁ、と思う。

今のところ引っ越したくない理由の15%くらいはこのパン屋があるからかもしれない。
それってすごいよな。

世界を変えるような大きな仕事も良いけれど、
このパン屋みたいに半径500メートルの人たちを幸せにする仕事のなんと尊いことか。
紋切り型のクローンじゃない、血の通った店を、町を作ることの意味と難しさと大切さを思う。

とか書いてたらすごくパンが食べたくなってきたので明日また行こうっと。
海老カツバーガーとくるみあんぱんと、メープルラウンドにソフトフランス。
それとパンの耳がありますように。


和のもの。

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明日から1ジャンルの料理しか食べられないと言われたら、
迷わず和食を選ぶ。

最期の晩餐のメニューを選べと言われたら、
炊きたてのごはんと薬味たっぷりの納豆、大根とわかめのみそ汁にする。

どこか海外に住んでみたいなと思ってはいるけれど、調べれば調べるほど、旅行すればするほど、やっぱり日本が一番だなと思う。

ほんと良い所だよ、日本。

この頃よくある、
“日本って素晴らしい!もっと誇りをもってこの国を好きになろう!”的な自画自賛ムードにはちょっと辟易としているんだけど(というかなんだか恥ずかしい。そもそも奥ゆかしく自慢しないのが日本の良い所じゃなかったっけ?)
でも自分の国のことを最低限知っているべきだと思うし、興味は持っていたいなぁと思う。

日本史も地理も苦手なもので、
もし外国人に日本はどんな国かと聞かれたら
「寿司とアニメと富士山の国です」
程度にしか答えられないよ私…
それこそ恥ずかしいわ。
もっとちゃんと探求しないと。


だからというわけではないんだけれど、
この頃“和”のものがとても魅力的に見える。

思えば買い足すのは和食器ばかり。
一番最近のものは九谷焼の煮物皿。
シンプル派としては九谷のカラフルな絵付けは正直苦手だったんだけど、不思議なもので何度も見てたらだんだん素敵に思えてきた。
そもそも食器が楽しくなってきたのもここ数年。ただの皿に千円以上出すなんて!って感覚だったのにさ。
人の好みも変わるものだねぇと言ったら友人に
「あんたそれ歳とったってことじゃない?」
と返され納得してしまったけど。
確かに周りで食器好きなのはみんな30代以上。
まぁでも良さがわかるようになるなら歳とるのも悪くないよね。

そして食に関しては、出汁ってすごい、と改めて思う今日この頃。
ちゃんと出汁を取ったことなんて数えるくらいしかない私ですが、離乳食作るときに出汁が活躍するので茅乃舎の出汁パックは欠かせません。
うちのデカ次男は完全に食いキャラなので、
「うちの坊っちゃまは茅乃舎のお出汁じゃないと食べませんの、オホホ」
みたいなことは全くなく雑食なんだけど、
試しに次男用の出汁で煮ただけの野菜を食べたらめちゃくちゃ美味しかった。
(ちなみに長男が通う保育園も出汁をしっかりとって給食を出してくれるので、薄味でもとても美味しい。古くておしゃれ感ゼロの野性児保育園だけど、そういう大事なポイントを外さないのでとても気に入っています。)

そうそう、和装もどうにかならないかなとずっと思ってる。
最近は浴衣こそ作り帯やセパレートで手頃な価格のものが増えきたけど、普段着としてももっと気軽に着れたらいいのに。
洋服感覚で着付けなしで着れる訪問着なんて、割と簡単に開発できると思うんだけどなぁ。
呉服業界の方、若い人が着物を着なくなって…なんて嘆いていないで、ぜひ。
そういう意味でこんなブランドは応援したくなる。浴衣の催事ではかなりの売上だったとか。需要はあるのです。


泊まるなら旅館。
寝るなら布団。
食べるなら和食。
旅行なら国内。

今年はそんな気分です。



電動自転車。

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育児グッズ界のラスボス、電動自転車が我が家にやってきた。

ジャーンジャーンジャーン、ジャージャジャーン、ジャージャジャーン(※ダースベーダーのテーマ。)

と言ってもやってきたのは先月のこと。
分厚い説明書と共に納車されてから、日々ご活躍頂いています。

思えば3年前から買うかどうか検討していた。
でも結局長男の時はなくてもなんとかなってしまい、買うタイミングを逃していたのだけれど、
さすがに2人になって徒歩&バス生活にも限界を感じ始め…

しかしなんだか電動自転車に手を出したらもう何かから逃げられなくなる気がしてためらわれたのよね。
改造を繰り返してきた人造人間がついに心臓までロボットになる、みたいなね。(大袈裟だな)
電動自転車で子供を前後に乗せて風を切って走る時、人は現代ママの完成形になるのだと思う。そして“ママ”から“母ちゃん”へと進化するのだ。
私にその覚悟はあるのか?
私にその資格はあるのか?

まぁ、20キロの自転車本体に合計20キロの子供と自分の荷物乗せて走れる体力と、何かあった時の危機回避能力(←ココ防災脳)があるんだろうかと不安だったって部分が大きいですが。
そしてVERYでよく見るスタイリッシュな自転車姿、あれは虚構です。
長い髪下ろして乗れないし、革靴は傷つくし、ワイドパンツは巻き込まれます。

そう、それなりに腹を据えて臨まなければいけないのが子乗せ電動自転車ライフ。

なんてことをゴニョゴニョ考えていた最中、自分の免許失効が発覚し、皮肉にもそれが「やばっ、今買わなきゃ…」とラスボス導入の背中を押すことになりました。(どうせ運転なんてしないくせにね、運転“できない”となると違うもので。)
そして購入直前まで“電動にするか否か”でまた迷い続け、どうせそっちの世界に行くならもうどっぷり浸かろうということで“電動”とあいなりました。
ここまで長かった…。

ちなみに私先日誕生日でしたので、ありがたいことにこの電動自転車はプレゼントとして頂きました。この年でこんな立派なプレゼント、恐縮でございます。
大切に使わないと…と思ってる矢先に長男がチャイルドシートに鼻◯ソをこすりつけているのを目撃しましたが。

ちなみにブリジストンのbikke2にしました。
機能はどのモデルも申し分なさそうだったので、最後は見た目で決定。
「オレは絶対乗らないからな」と言っていた夫が気づいたら毎日のように乗っているのを見ると、思い切り男子なデザインを選んで正解でした。

乗り心地は…とか書いているとものすごく長くなりそうなのでこのくらいにします。
とにかく便利です。
導入してよかった。てかもっと早く導入すりゃよかった。

一つ誤算は、うしろに乗せた長男と話す時に大声で話さないと聞こえないこと。
うちの長男ほんとによくしゃべるので、
「なんで自転車って寒いの〜?」
「風を切るから寒く感じるんだよー。」
「えーっ?何ー?聞こえない〜」
「か、ぜ、を、き、る、のーっ!(大声)」
「なんで風なのにき、れ、ちゃ、う、の〜?(大声)」
「・・・」
てな具合にずっと会話してて、すれ違う人の視線を感じます。

春になったらもう少し遠出してみようかな。

予防線の張り方。

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“思い出がいっぱい詰まった景色だって また 破壊されるから 出来るだけ執着しないようにしてる”


「東京」を歌ったこの詩に心底共感したことを思い出す。
期待するから、こだわるから、意味付けするから、違う結果になった時にショックを受けたり傷付いたりするんだ。
だから心に予防線を張るようになって、またその張り方も我ながらなかなか上手くなったもんだなぁと思う。

いや別にしんみりした話題ではなく、日常に溢れる「東京」的シチュエーションに鍛えられてますって話。

掃除した直後に牛乳ぶちまけられたり、
記念日の手形プレートを粉々に割られたり、
わりと頑張って作ったご飯を吐き出されて捨てることになったり、
おしゃれした時に限っておもらしされたり、
楽しみにしてたお出かけの前日に熱を出したり、
もうそういうのでいちいち感情のジェットコースターに乗っていたらキリがないので、
一旦「ゔぁーーっっっ!」
っと叫んで
あとは「だよねっ!(てへっ!)」
ってするようにしてます。

最近は、ちょっと思い立ってバレンタイン飯を作りましたが、
作りながらも
「夫は毎日遅いしきっと食べられないだろうな」
「子供はまぁフ〜ンって反応だろうな」
「どうせ自己満だしね」
「冷凍してちょこちょこ食べればいいしね」
と予防線を張りに張って挑みました。

結果、
用意した昨晩は夫不在。
→だよねっ!(てへっ!)
長男は「フーン…」。
→だよねっ!(てへっ!)
と、見事に予想通りで全然ショックを受けずにすみました。
それどころか、“ビヨンセが激しく歌い踊るYouTubeに衝撃を受けバレンタイン飯を食べる手が止まっている長男”がシュールすぎて笑えました。
というか何でそんな動画を食事中に見ていたのかも謎。

勝手に期待して勝手にガッカリするのは体によくありません。
思い通りにならないのがデフォルト。
そう思っていれば(比較的)心穏やかに過ごせるものです。

(とはいえ、冷蔵庫でラップにくるまれたバレンタイン飯から滲み出る寂しさを察したのか、夫も今日はちゃんと“簡易版”ディナーを楽しんでました。ムダにはならなかったぜ…ホッ。)

まぁでも予防線の張りすぎは人生のダイナミズムを殺しますからね!
自分の力でコントロールできることに関しては大いに執着して期待して、ダメなら思いっきりヘコんでまた起き上がるって感じでありたいものです。


しかしティラミスって意外と簡単にできるのね。
ハッピーバレンタイン!!

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