予防線の張り方。
“思い出がいっぱい詰まった景色だって また 破壊されるから 出来るだけ執着しないようにしてる”
「東京」を歌ったこの詩に心底共感したことを思い出す。
期待するから、こだわるから、意味付けするから、違う結果になった時にショックを受けたり傷付いたりするんだ。
だから心に予防線を張るようになって、またその張り方も我ながらなかなか上手くなったもんだなぁと思う。
いや別にしんみりした話題ではなく、日常に溢れる「東京」的シチュエーションに鍛えられてますって話。
掃除した直後に牛乳ぶちまけられたり、
記念日の手形プレートを粉々に割られたり、
わりと頑張って作ったご飯を吐き出されて捨てることになったり、
おしゃれした時に限っておもらしされたり、
楽しみにしてたお出かけの前日に熱を出したり、
もうそういうのでいちいち感情のジェットコースターに乗っていたらキリがないので、
一旦「ゔぁーーっっっ!」
っと叫んで
あとは「だよねっ!(てへっ!)」
ってするようにしてます。
最近は、ちょっと思い立ってバレンタイン飯を作りましたが、
作りながらも
「夫は毎日遅いしきっと食べられないだろうな」
「子供はまぁフ〜ンって反応だろうな」
「どうせ自己満だしね」
「冷凍してちょこちょこ食べればいいしね」
と予防線を張りに張って挑みました。
結果、
用意した昨晩は夫不在。
→だよねっ!(てへっ!)
長男は「フーン…」。
→だよねっ!(てへっ!)
と、見事に予想通りで全然ショックを受けずにすみました。
というか何でそんな動画を食事中に見ていたのかも謎。
勝手に期待して勝手にガッカリするのは体によくありません。
思い通りにならないのがデフォルト。
そう思っていれば(比較的)心穏やかに過ごせるものです。
(とはいえ、冷蔵庫でラップにくるまれたバレンタイン飯から滲み出る寂しさを察したのか、夫も今日はちゃんと“簡易版”ディナーを楽しんでました。ムダにはならなかったぜ…ホッ。)
まぁでも予防線の張りすぎは人生のダイナミズムを殺しますからね!
自分の力でコントロールできることに関しては大いに執着して期待して、ダメなら思いっきりヘコんでまた起き上がるって感じでありたいものです。
しかしティラミスって意外と簡単にできるのね。
ハッピーバレンタイン!!