悪あがきブログ。

ママで妻で“働く”女のつれづれ日記。

あー面倒くさい。

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「人生とは面倒くささとの戦いだ」

と言った友達がいた。

名言すぎてそれからずっと心にこびりついていて、
ほんとにその通りだといつも思う。

まぁ私がかなりの面倒くさがりだから響くだけなのかもしれないけど。
なんせ本当は朝起きるところから面倒くさい。
身支度して朝ごはん作るのも面倒くさい。
化粧するのも掃除するのも洗濯するのも子供を叱るのもお風呂入るのも全部ぜーんぶ、本当は面倒くさい。
これに出勤とかメールチェックとか社交辞令とか報告書とかONモードなあれこれが加わった日にはもう、ピーク・オブ・面倒くさい。

なのに、毎日それなりにこなして1日が終わるのは我ながらすごいと思う。
こんなに心の中では(いや言葉にも漏れ出つつ)面倒くさいと思ってるのに。
面倒くささとの戦いにかろうじて勝っているんだろうか。

さて、
冒頭の名言を吐いた彼は、努力の末に弁護士になった。
『勉強』という、私からすれば面倒くさ界の重鎮みたいなのとひたすら戦い続けて、
夢を一つ叶えたのだ。
(B君読んでたりするかな。すごいよあんたと言いたい。そして名言をありがとう。)

世の中でいわゆる“成功”をしていたり、
幸せに暮らしている人たちは、
面倒くさいことときちんと向き合って、乗り越えたりうまく付き合ったりしてる傾向があると思う。

逆に面倒くさいことから逃げ続けてると、
なんだか虚しく味気ない毎日になってしまう気がする。発展がないというか。

出汁とったり
粉からパン焼いたり
家中の窓拭いたり
写真まとめたり
パソコンのフォルダ整理したり
ショートカットキー覚えたり
洋服のほつれシミしわ直したり

どれもできてないこと。
でもきっと面倒くさいことと豊かなことは実は近くにあるんだろなぁとわかってる。
だからリンネル的なテンションで『丁寧な暮らし』みたいな文字面を見ると
なんだかゾワゾワして
「ひぇーっ!溶けるー(?)!ごめんなさい!」
と後ろめたさで満たされる。

「子供いるしね、そんなのんびりしたこと言ってられないわ」
てな定石で言い訳したくなるも、
じゃあ子供いなかったらやるのかよと自問するとウッてなるし、言い訳に使われた子供にも申し訳ないなと思ってさらにズムーンなんですよ、ね。

しかしそんな私にも、面倒くささに打ち勝つための小ワザがある。
それは
“面倒くさいと頭が思う前にやる”
ということ。
脳をダマすと言うか、意識の水面に“めんど…”という感情が現れる前に体を動かすと、わりとうまくいくことが多いです。
例えば、「あー起きなきゃぁ…」と思いながらゴロゴロしてて、起きて身支度して出かけたと思ったらそれは夢だった!みたいな時はちょっと死にたくなるからね…
「あー起きるのめんど…シャキーン!!(起床)」
みたいなことができると良い一日が待っています。
たぶん。


そして、こないだ面倒くさいことがたくさん載っていそうな本を見つけたのでポチりました。
このポイントだけいいとこ取りしようという姿勢に面倒くさがりの性が透けて見えますが、そこは触れずに。

【読書】「自分の仕事をつくる」読みました。

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未来の働き方や生き方に興味があるとか何とか公言しながら、

二人目の育休も一年が過ぎ、
すっかりその熱もぬるくなってしまった。

ワークライフバランスに関する企画書(と言えるほどの物でもなかったけど…)持って、上司に専任担当にしてくれと詰め寄ってたのは遠い昔の話か。
自分の意志の弱さに幻滅すると同時に、そのくらい“当事者”でなくなることは関心を薄くするんだなぁと実感している。

駒崎弘樹さんが、
「子育て世代の意見が政治に反映されにくいのは、当事者である期間が短くて声を上げても持続しないからだ」
という趣旨のことを言っていて、すごく腹落ちしたのを思い出す。
たとえば保活に悩ませられるのもせいぜい1〜2年の話だし、その後は両立問題、小一の壁と立て続けに新しい問題が待っていて、「保育園増やしてくれー!」なんていつまでも言ってられるほどみんなヒマじゃないのよね。

当事者じゃないと弱い。
渦中にいないとその人の気持ちや境遇がなかなかわからないものだし、
当事者とそうでない人との間には温度差が生まれてしまう。
そこをどうやって想像力働かせて折り合いつけて、共存していくかが人間の厚みってもんでしょと思うので、
いろんな人がいる環境で息子たちには育って欲しいなぁと思うこの頃。


………………………………
ええと、
前置きが長い上に逸れたけど笑、
久しぶりに“働く”こと関連の本を読みました。

『自分の仕事をつくる』

すごく乱暴にまとめると、
“自分が本当に良いと思うもの、好きなものを作る仕事をしよう”
ということを企業家たちのインタビューを通して伝えている本。
“矛盾のない仕事”こそが人を幸せにする、という主張など、ほんとそうだよなぁと思うことばかり。
(✳︎矛盾のある仕事とは、例えば燃やせないプラスチック容器で過剰包装された“健康に良い”自然食品とか、途上国で安い賃金で作らせた“環境に優しい”オーガニックコットンとか…世の中に溢れる〝普通の〟仕事を指す。)

でも。でもね。
好きなことだけで仕事するなんて、
矛盾のない仕事を貫くなんて、
やーっぱり理想論な感じが否めないわけですよ。
理不尽なことに耐えたり、
制約の中で妥協したり、
本質と違うところで駆け引きしたり、
そうやって「なんだかなぁ…」と思いながら働いてる人が大多数なわけで。

だからそういう中で
「やめちゃえばいいじゃん」とか
「意味なくない?」とか
「好きなことだけやれば?」
とかサラッと言っちゃうホリエモンあたりが若者に根強い人気なのはなんか納得なのです。

“自分の仕事をつくる”上でポイントになるのはきっと、
土俵から降りる勇気を持てるかどうか。
ベタな価値観のレッドオーシャンを離れて自分だけの静かな海でのびのび泳ぐのは、どんなに気持ちがいいだろう。
月収100万で歯を食いしばって働くのと、
月収20万で好きなことを思い切りやって心が満たされるのと、
一体どっちが幸せなんだろ。

この本の中でいう良い仕事とは、
「よくやった!」と言われるより
「ありがとう」と言われる仕事だという。
自分のことを振り返ってもその通りだと実感するし、そういう仕事には愛情や情熱が込められていた。
純粋に好きである、楽しいということは、
何物にも代え難い幸福感を生むし、それが滲み出て他の誰かも幸せにするものなのだ。


なんてことを考えつつ、
あ〜海外旅行行きたい!ハクのつくブランド品が欲しい!そろそろディズニーランドに子供連れて行きたいわ!あのホテルのランチ気になる!
などと資本主義の申し子のような私には、
土俵から降りることなんて到底できなそうなんだけど…苦笑


とはいえ、心に理想を持つのと持たないのでは大違い。
私の仕事これでいいんだっけ?
ってなっちゃってる人に特におすすめの良書です。

米つぶ戦争。

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戦いの季節がやってきた。

次男の手づかみ食べブームが来たのだ。
彼は手加減を知らないスナイパー。
ごはん、おかず、汁物。
彼にかかれば全てが破壊力抜群の武器になる。
茶碗にグーをつっこみ、
味噌汁の豆腐は握りつぶす。
スープの具をつかもうと皿ごとひっくり返し、
スティック状にした野菜は一口で食べようとする。(そしてむせる。)
納豆に至っては手や口についたのを拭おうとし、そのまま顔に塗る。
で、うわぁってパニックになり髪の毛やテーブルからもネバが引く。
クモの巣。臭い。

まぁ長男の時も毎日戦ってたので今さら驚きもしないのだが、
(いや、むしろ長男は暴れた上に食べないという悲しいおまけ付きだったので、なんだかんだ食べてくれる次男はマシかもしれない。)
厄介なのは米つぶだ。

ごはん食べてればそりゃ普通にこぼれる。
しかしそれだけではそれだけでは済まないのが米つぶ。
テーブルの裏、椅子の隙間、ソファの上、プレイマットの下…
髪の毛の中、鼻の穴、足指の間、絵本のページ、爪の隙間…
なぜそこに忍び込んだ!?という神出鬼没感。

また、食事の終盤=飽きてきてる段階になると、
フッと次男が1秒くらい無になる瞬間がある。
来たっ!
構えろ!

「シュププププププププッッッッッ!!」

奇襲・米つぶ散弾銃。
けっこうな飛距離、そして放射状に米つぶが飛ぶ。

母、完敗を記し、戦いは終了となる。

米つぶにまみれた次男を椅子から降ろし、米つぶが潜むリビングに連れて行き、米つぶが散乱した食卓と床を掃除し、時々米つぶを踏んで「ぐぇっ」となるのだ。

毎日毎日米つぶを拾い続けてる気がする。
米つぶ拾う姿って哀愁漂ってると思うのよね。
背中丸めて、あ〜ぁってため息つきながら、
あんまり人に見られたくない格好で、今日もたくさんの母親が米つぶ拾ってんだろうなと想いを馳せる。

やっと片付いたぜ!
次は洗濯物を干しまーす!
と、子供の洋服を勢いよく広げたら、
パラパラパラ………

足元には洋服から落ちた米つぶが散乱。
ふと目をやると、その米つぶを拾って食べようとしている次男。

もう嫌です。
さようなら。

右脳か左脳か。

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右脳の方がよく動いてる気がする。

直感優先、楽しいか美しいか基準、つじつま合わせは後回し。

昔上司に
「まったくお前は右脳ばっか使って仕事する!」
と呆れられ、
ああそうかもと妙に納得しちゃって
「てへへ」とだらしなく返したのを思い出す。

でも、初動で右脳使うのって結構大事だと当時思っていて、
左脳的要素はあとからいくらでも補強できるというのが持論だった。
直感を理論でフォローすればいいって。
だから先の言葉もあー右脳使えてるんだな私っていう褒め言葉にも取れちゃったわけで、
ろくに反省もせず今に至ります…。


さて、そんな私ですが最近かなり左脳寄りなレシピ本を手に入れました。
落合務のパーフェクトレシピ』
かなり売れてるようでずっと気になってたんだけど、
基本クックパッド先生にスマホで教えてもらってるし、タレントシェフにはあんまり興味がなくてなかなか手が出ずにいた。
が、お腹すいてるときにネットで立ち読みしてたら美味しそうでたまらなくなってそのままポチリ。
購買行動なんてこんなもんなんだな。

届いたレシピ本、驚いたのは文字の多さ。
わかりやすいし丁寧に説明してくれてるんだけど、それぞれのメニューで10段階はある工程は、日頃“切る・焼く・味つける”くらいのレシピばかり見てる私にとってはなかなかの衝撃だった。
途中しれっと「ここで30分ほどじっくり煮込む」とか出てくるから、ちゃんと読んでから作らないと出来上がり時間の計算狂うし。
危ない危ない。

しかし、字が多く工程が細かいのには理由がある。
“なぜそうするのか”ということがすごく理論的に書いてあるのだ。
なぜここで強火なのか、
先に混ぜておくのが大事なのはなぜか、
パスタの塩加減と茹でるタイミングはなぜ重要か、
水と油の乳化がいかに大切か、
などなど。
今まで考えずに適当にやってきたことの理由が全部書いてあって、理科の実験みたいでとても面白い。
そして、レシピに忠実に作ると、ほんとに美味しくできた。
“ミートソースとは肉料理である”との名言に惹かれて作ったパスタは、たぶん今までのミートソースで一番美味しかったはず。
落合先生、さすがです。

特に左脳派には魅力的なレシピ本かと思います。
料理に凝りだした男の人とかも好きだろうな。
まぁ難しくはないけどそれなりに手間はかかるので、手抜き料理の合間、ちょっと頑張る日に楽しもうと思います。


右脳か左脳か。
月並みなまとめですが、そのバランスが大切なのかと。
私は右脳スタート左脳追随型が好きだけど、そうじゃない人もいっぱいいる。
はっきりとどっちが良いという話ではないのだから、それぞれの良いとこ取りをすればいい。
なのに世の中は「はっきりしたい!」「決めちゃいたい!」「強くありたい!」という空気が色濃いですね。
某ジャーナリストが
「物事は本来、時間をかけて迷って悩んで揺らぐもの。そしてより良い策を見出していく。(すぐに明確な答えを求める)今の人たちはそのことを理解して耐えなければいけない。」
と言っていて、この“耐えなければいけない”がせっかちな私の心にグッときた。

子供に「早く決めて!」って言いながら、
急いで決めると失敗したり、時間かけて悩む理由があったりすることを忘れちゃいかんと思いました。

って右脳左脳の話から脱線してるな、
まぁいいか。(←右脳的。)


モニモニくん。

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次男が一歳になりました。


大小の丸を組み合わせると描けるような、まぁるいフォルムで、
最近はモニモニくんと呼んでいる。

よく笑い、
よく食べ、
鼻くそがやたら立派で、
兄ちゃんが大好きで、
潰されても叩かれてもおもちゃを貸してもらえなくても、
あんまり泣かない。
放って置くと、一人で黙々と人形をいじったり絵本を食べたりしている。

典型的なザ・次男。
それがモニモニくんだ。

わかりやすい美男子ではないかもしれないが、
いつか綾野剛に化けるような気がしている。
愛敬があってかわいいやつ。

そう、かわいいのだ。

“二人目はただただかわいいよぉ〜”
と先輩方に言われていた意味が今よくわかる。
長男の時にあったいろんな感情はサラサラとろ過されて、
次男に対しては
「ほぇ〜、かわいいのぉ〜(←鼻の下びろーん)」
という単純な気持ちだけが残るのだ。

第一子というのは
お腹の中にいる時から、
母親の不安や期待や緊張や愛情やストレスを一身に受けて
いろんなものを背負って産まれてくるから、
ナイーブになりがちなんじゃないかな。

うちの場合、
長男が悩まされた肌荒れ、偏食、体質、睡眠トラブルなどなど
次男には今のところ一切ない。
こうまで違うのかと驚くほどに。
いかに私が何も考えずに次男を育てているかを全身で教えてくれている…

モニモニ君は
実にたくましく育って一歳を迎えました。
おめでとう
ありがとう



一歳までの365日は彼の人生で一番成長した一年。
産まれて数ヶ月の頃、90歳のひいおばあちゃんに会った時、
「あぁこの子はあと200倍くらい生きないとひいおばあちゃんに追いつけないんだなぁ」
としみじみ思った。
でも今はもう90倍で追いつける。

親に追いつくには約30倍。
そしてそれは20倍になり10倍になり、そのうち2倍になり、やがて親はいなくなりその差は限りなく0に近づいていく。

あたり前のことなんだけど。
数字上の話を超えて、中身もだんだん親に追いついていって、長い長い時間をかけて理解できるようになるのかなぁ、と。

その受け継がれる時間の神秘に参加できていることに、幸せを感じて、感謝したい。


まぁとにかくね、
うちの長男くんとモニモニくんは最高なのですよ。

親歴ももうすぐ5年目に突入。
親バカ上等!

自由ってなんだ。

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長野の山奥に『わざわざ』という名前のパン屋さんがある。

たまたま手に取ったフリーペーパーでその存在を知り、読んでみると、
なんとお店で仕事体験する人を募集していると書いてある。
こ、これは…
パン屋さんになれる!
しかも昨夏行って楽しかった軽井沢の近く!
心が躍った。

早速夫と日程を調整して訪問日を決め、
オンラインでこのお店のパンを買って予習し(これがまたかなり美味しいパンでテンションUP)、
Facebookをフォローしてお店のブログをチェックして、
わくわくが満タンになったところで
ちょっと温度高めの申込みメールを送った。

三日後。
届いた返信は、「残念ですがお断り」だった。
ガーーーーン。
理由は、
申込みが予想以上に多いこと
現在の社員だけでお店が回るようになってきたこと
お店が忙しく体験者に対応しきれないこと
だそうで、就職希望者のみ受け付けることにしたと、申し訳なさそうな丁寧な説明があった。

久々にけっこうなガッカリだったわけだが、
まぁ考えてみれば私みたいな
“旅行を兼ねて流行りの田舎体験したいわ〜♫パンも大好きだし!”
的な軽いノリの申込み者がたくさんいたんだろう。
『わざわざ』とてボランティアで仕事体験者を募集していたわけではない。
人手不足を解消するための経営上の手立てとして、“短期のお手伝い”を募集していたのだ。
課題が解決したのなら、募集する必要はない。
それだけのことだ。
 

『わざわざ』は、私と同世代の、都会から移り住んだ女性が始めたお店。
小さな子供も二人いるそうで、下の子をおんぶしながらお店に立つという。
自分たちが本当に良いと思うものを
よーく吟味してお店に並べ、
少しずつ改良を加えたり、変化をつけたり、
オンラインショップに手を入れたり、
庭を作ったり、畑を耕したりして
過ごしているんだそうだ。

でも、彼女の日々のブログからは
“田舎暮らしに憧れて自分のお店をオープンした懐古主義的な夢追い人”
みたいな雰囲気は全く感じられない。
「田舎暮らしなんて、そんな甘いもんじゃない。生きていくためにギリギリで会社を経営してるんだ。」
と本人も言っておられるように、
すごくリアルで、生々しくて、次世代的で、テクニカルで、人間らしい暮らしがそこにはあるんだろうなと感じる。
うまく言えないけど、とにかく魅力的な世界。

で、そういう暮らしに私は憧れているんだろうか?と自問する。
答えは、否だ。
田舎に住みたいわけではない。
娯楽や流行や刺激の少ない土地でやっていける自信はないし、
狭くて濃密なコミュニティも苦手。
あ、虫も嫌いだしね。

じゃあ何がそんなにまぶしく感じるのかと言うと、
きっと田舎に漂う“自由”な空気なのかもしれないな、とこの頃思う。
大声でワーッて叫んでも隣近所に迷惑じゃなかったり、
今なら1日10回くらい言ってる「すみません」を言う場面が少なそうだったり
車を気にせずどこまでもどこまでも走れたり、
しなくても良い我慢がすごく少ないんじゃないかなと。
まして子供にとっては、この種の“自由さ”がすごく尊いものなんじゃないのかなと、
思うのです。

そして、そんな環境が欲しいと思った時に、“選べる自由”を持ち合わせていることも私にとってすごく重要。
AかBか迷った時にどちらも選べるためには、経済力なんかも必要かもしれないけど、
“心が”自由だったらきっとどっちでも選べる。
「夢じゃない〜あれもこれも〜♫(あ、B'zです)」
って思えるかどうか。

環境のせいにしてはいけないけど、
都会にいると、考えなきゃいけないことが多すぎて、どうも心が“自由”であることからどんどん遠ざかっていく気がして。
危機感。

“自由”はしばらく自分の中でキーワードになりそうです。
まだまだモヤモヤするけれど。
一体自分が探してるものは何なのか、ちょっと『わざわざ』に行ってヒントをもらってこようかなぁ。
働けなくても、パン屋体験できなくても、
まぁいいや。

わざわざのサイトはこちら。
パンは〈角食〉が一番美味しかった♫

口コミの力。

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何をいまさらって感じですが、

やっぱり口コミってすごいなと思う。

これを書き始めて一年になるけど、
この頃
「ブログに書いてあったあれ、買ってみたよ」
「私もやってみることにした〜」
「あの日の記事のあれ、詳しく教えて!」
みたいなことをよく言われるようになった。

恐れ多いやらちょっと恥ずかしいやらなんかもーすみませんと思いつつ、
こんな戯言をブツブツと書いたようなブログでも
誰かの役に立つこともあるのかなと思うと、素直に嬉しい。


そういや自分の周りにも
誰かが薦めたもの、やってたこと、真似したものが溢れている。
食材も、調味料も、美味しい店も、洗剤も、子供のおもちゃも、習いごとも、休日の遊び場も、本も、スマホアプリも…
誰かに教わったものだらけ。

特に奥様情報ネットワークはなかなかの精度とスピード。
『子育ては情報戦だ』
とはよく言ったもので、ちょっと集まってランチでもすればどっさりと情報のお土産を持ち帰ることになる。
LINEでレシピが飛び交い、重曹を使った掃除の裏ワザを試し、夏休みの旅先を共有、最新の保活情報を得て、面白そうなイベントへの参加者が募られ…

そりゃ企業はここに入り込みたいよなぁ、
と改めて納得する。
ステマ、やりたくなるよね。
“利用者の95%が満足”って言いたくなるよね。
あの芸能人も使ってる!とか書きたいよね。
自然拡散を装ってリツイート増やしたいよね。
「どうしたらバズるんですかっ?!!」って相談したくなるよね。

口コミ効果は無敵にしてデリケート。
派手な宣伝よりも、誠実で中身が伴ってるものが支持される時代は素敵だと思うけど。
訴求する側は知恵が試されるものです。


人から薦められて我が家で殿堂入りしたものたちはこんな感じ。
「あ、これ私が薦めたやつ!」というものがあったら、その方にとても感謝してます…。
ハッピーエレファントのオーガニック洗剤シリーズ
ぴよちゃんクリーニング
Amazonプライムのサービス一式
メルカリのフリマアプリ
ベルメゾンのGITAシリーズ
近所の寿司屋
近所のパン屋
近所のヨガ教室
雪ちゃん味噌、富士酢、旭ポン酢……

などなど。助かっております。


しかし!
いくらお薦めしてもなかなか広まらないものが一つあった。
CG版にリニューアルして、これが大人が見てもかなり面白い。
長男に見せたらハマってしまい、もはやオタクの域なのだが、保育園では当然ながら誰もサンダーバードトークに付いてこれない。
3歳にして孤独な趣味を持つ男になってしまった…

誰か相手をしてあげてください。
今一番口コミしたいおすすめアニメです。