悪あがきブログ。

ママで妻で“働く”女のつれづれ日記。

子のこころ親知らず。

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長男が1年生になって半年が経った。

環境・規範・人間関係など、その全てにいちいち親子で「なんだこりゃっ!?」と衝撃を受け、いわゆる“小1の壁”にボコボコぶつかり青タンをたくさん作っていたのだが、その青みもだいぶ薄くなってきた。

死んだ魚の目をして苦行のように通学していた長男も、今はなかなか楽しそうだし、

私の方もあんなに難解だったプリントを読みこなすようになり、工作用にトイレットペーパーの芯を取っておくストレスももう(ほぼ)ない。

壁、越えたっぽい。

 

(つまりは慣れたってことなんだろうけど、それが良いことなのかは正直まだよくわからない。適応することは思考停止と背中合わせだから、もしかしたらより良い選択肢を潰してる可能性も大いにあって、ないものねだり病の私としては、モヤモヤが100%消えたわけではない。

が、この辺のタラレバ話は出口見えなそうだし今日はやめておこう、、。)

 

とにかく、いろいろ落ち着いて、親子とも穏やかな気持ちで最近は過ごしている。親が落ち着けば子も落ち着くものらしい。この子のために!とやきもきする圧は伝染するんだな。

 

そして一年生ともなると、対等に話をできるようになったなぁと感じることがほんとに増えた。そして敵わないことも増えた。

・オセロ(5割は本気で負ける)

・説明のわかりやすさ

・状況理解のスピード

このあたり、白旗。

悔しさとむなしさと心強さと。

あんたもう母ちゃんを超えていってしまうのね。

 

そして私の知らない彼の世界がひとつまたひとつと増えていく。

ポケモンわからんよ、マイクラもついていけない。友だちと何を話し、何を感じ、どんなことしてるのか全然知らない。

イキがったり格好つけたり羽目を外したり。アホな小学生男子め、ほんの数年前までそんなことしなかったじゃないか。

一応その日1日の出来事を話してくれるけど、どこを切り取るかは彼の編集フィルターによるし、真実は彼にしかわからないのです。

 

そういやこないだ、言うことをきかなくて叱ったら、どうやら私の叱るポイントが長男的にちょっとズレてたらしく

「いやそういうことじゃないよ。ママが僕になればわかるのに。」

って言ってたのがすごく印象的で。

そうなんだよ。もう君は私とは全然別の個人なのです。いや初めから別なんだけど、シンクロ率がどんどん下がってくわけ。“僕”になることが次第に困難になってくんだなぁとしみじみしてしまった。

 

ちょっと前のラジオ番組でAR3兄弟の川田十夢さんが、“これからのARは人間の脳や思考とリンクしていくから、例えば医者なら、科学者なら、ザッカーバーグなら、この日常の景色がどう見えているかという視点を再現できるようになる”という趣旨のことを言っていて、うわぁそれめちゃくちゃ面白そうと思った。

そして長男の視点をそのARで体験したら何が見えるのかなとすごく気になった。

 

親離れする日はまだまだ先だと思いつつ、私の知らない彼の世界が拡張しつつあることは、ちょっと寂しく頼もしい。

「子育ては親育て」

とか言うけれど、こんな今まで知らなかった感情を教えられるのは幸せなことと捉えよう。

 

そして長男のあとには、ぶっ飛びワンダーランドを生きている次男が控えている、、。

彼の世界をARで擬似体験したら卒倒するかもしれない。

気をつけよう。