一人旅の効能。
生まれて初めて一人旅というものをしました。
学生の頃からずっと行きたくて、でもいつでも行けるやと思っているうちにどんどん行きにくい環境になり。
そして今、なんだかこれはちょっといろいろ心をリセットした方が良いようなあれやこれやが蓄積してるのを感じてました。
何か特段大変なことがあったわけではないけれど、チリも積もれば溢れ出すのは自然の摂理。
タイミングも合ったので、思い切って行かせてもらうことにしました。
まずは夫に感謝。
しかし「どうせ行くなら飛行機乗って遠くに行けば?」という助言に小心者の私は乗れるはずもなく、(だって旅の間に大災害が起きて帰れなくなるかもしれないからね!遠い地で一人死ぬのは嫌だ。)
いつも乗ってる電車を逆方向に揺られてわずか40分。
何度も来た江ノ島の近く、何度も来た鵠沼海岸の、何度も通った道路沿いの小さなホテルに一泊しました。(ここなら何かあっても最悪歩いて家に帰れそうだ。)
旅の目標は2つ。
・ダラダラすること
・何か初めてのことをすること
ダラダラするなんて簡単じゃないかと言われそうだけど、
私には簡単じゃない。
要領もよくないくせに常に段取りを考えたり、身の回りの物の位置やら状態やらがいちいち気になって動き回る傾向がある。
テレビを見ることより、テレビを見ながら何を片付けるかで頭がいっぱいになるタイプ。
あー、我ながらなんてめんどくさい。
しかし、3日くらいかけて厳選したホテルがなかなか正解だった。
女性のお籠もりに特化したかのような、ミニマムだけど行き届いたサービスでかなり好印象。
ウェルカムドリンクがレモンビール、テンションの上がるアメニティ、食事もお風呂もマッサージも全て部屋で完結、映画見放題、音楽かけ放題、ドリンク飲み放題、アロマ炊けてお風呂にはミストまでついてる。
どんな堅物でもダラダラしないわけにいかない環境とはこれぞ。
かくして私も行儀の悪い王様のように、ビールラッパ飲みしながらアーモンドつまんで映画2本、お笑い1本、ライブ2本鑑賞。
夕飯前にはゴリッゴリの背中をエステティシャンにほぐしてもらう。
プハーッ。ガッハッハ。
しかし籠ってばかりでは海に来た意味がない。
映画の合間に散歩し、翌朝起きて散歩し、富士山拝んだり、波の数数えたり、建設中のたくさんの海の家や、この人たち仕事してんのかな?っていう微妙な時間に海にいるサーファーを眺めたり。
このあたりの海辺の何が良いって、なんだかほどよく明るいということ。
日本海の重いサスペンスドラマ感もなく、北関東のちょっと寂れた空虚感もなく、
あっけらかんとしている。
たとえばコレ。
この店構えでこの看板で〈ホノルル食堂〉。
「いい名前だろっ?」と言うオーナーの声が聞こえてきそうな。
なんと言えばいいのかわからないんだけど、たぶん明るいんだと思う。
明るいことは偉大だ。
放っておくとどこまでもネクラの闇深く潜り込んでしまうような自分のようなタイプには特に、
おせっかいではない、そこはかとない明るさが必要なのだ。
いろいろ書いたが、
つまり初の一人旅はかなりうまくいった気がする。
そうそう、もう1つの目標、
・何か初めてのことをすること
は、一人旅そのものももちろんだが、ずっと気になってたプレミアムかき氷を初めて食べたことがそれに当たるかな。
埜庵に並ばずに入れるなんて、行列嫌いな私を待ってたかなような運命。
全然頭キーンとならないよ、という噂は本当で、山盛り氷もペロリといけました。美味。
夏が目前の晴れた日の、重力をほとんど感じない風に乗って聞こえる、踏切の音がなんとも懐かしくて(海辺になんて住んだことないくせに)、
小さなお店に入ると誰もいらっしゃいませとは言わず「こんにちはー」と言うのが海の町らしくて(海の町のことなんて知らないくせに)。
あーあ、ちょっと海辺に住んでみたくなっちゃったじゃないか。
※女一人旅、今回かなり調べたのでオススメ情報持ってます。興味ある方は連絡くださーい。
主婦と社長の法則。
ここ数年実感することが多くて、勝手に命名した法則がある。
その名は“主婦と社長の法則”。
社長というのは、会社の行く末を決めるような重大な選択を日々迫られ、
社員の人生をも左右する立場で影響範囲の広い仕事をしているものだ。
一方で主婦は、家庭という小さな集団の生活を整え、健康や安全に心を配りながら、ご近所というコミュニティの中でさまざまな仕事をこなしている。
あまりに違う世界だが、
彼らに与えられた24時間、365日という同じ時間の中では、かなり異質なものが同等の重大さをもって認識される、ということが起こる。
これを“主婦と社長の法則”と呼ぶ。(注:一般的ではありません)
例えば、
・事業計画策定⇄町内会のアンケート記入
・プロジェクトの納品日⇄次の粗大ゴミ回収日
・社員の福利厚生サービス向上⇄お弁当のおかずの仕込み
てな具合に。
全然レベルが違うじゃないか!とツッコみたくなるかもしれないが、
事実、主婦の間では“回覧板を回す順番が変わった”とか、“次の保護者会で一人150円をどうやって集金するか”みたいな話題でLINEがすごい勢いで飛び交ったりする。
みんな真剣に考えているのだ。
どーでも良いじゃないか、とは(たとえ頭で思ったとしても)決して言葉や態度に出してはいけない。
コトの重大さというのは、
とても主観的なものだ。
かつ、その人が生きる世界100%を何がどんな割合で占めているのかによって相対的に決まる。
だから、日々多忙で休みなく働くビジネスマンの時は取るに足らないことだった夕食の献立が、仕事を辞めたら1日の考えごとの大半を占めるようになる、
なんてことが起こりうる。
その意味では、レベル感の違うタスクを日々こなすワーママなんかはかなりのバランス感覚が必要だ。
経営陣へのプレゼンで緊張の汗を流したあとに、ネットスーパーでアンパンマンのお菓子を買っているかもしれないし、
重要な会議中に洗剤の買い置きがないことを思い出して焦っているかもしれない。
一人で社長的タスクと主婦的タスクを行ったり来たりしていると、なんだかわけがわからなくなってくるものだ。
私は今、“主婦寄りの社長”(←?)を目指しているせいか、
前よりもゴミの捨て方や子供のことの相対的な重要性が増すと同時に、
仕事の幅を限定した分、今までなら取るに足らなかったちょっとした仕事で頭がいっぱいになってしまったりする。
それはそれでやりづらい、、
なんだか取り留めもない話になってしまったけど、
言いたいことはだいたい2つ。
---大事なことは人それぞれ。尊重しながらわかりあえたら良いね。
ということと、
---あなたが悩んでること、ホリエモンだったら脳内の1%にも満たないタスクだから、もっと気楽に楽しく考えた方が良いよ。
ということ。
そんなことを自分に言い聞かせつつ、
運動会のお弁当の内容を1週間も前から悩んだり、あの営業メールはもっと上手く書けたんじゃないかと読み返したり、ムダに真面目な(というか要領の悪い)性格をどうにかしたい今日この頃です。
あぁ、
ギミー自己肯定感!
保育園という奇跡。
おかげさまで長男が先日、5年間通った保育園を卒園しました。
涙と笑いの余韻に浸る間もなく、長男は翌日家の前ですっ転んで顔から流血し、その翌日にはインフルエンザを発症し、それが弟と私にうつり(この間に保育園で大流行)、治ったと思ったら別の風邪をひき、、
なんとも不憫な1週間でした。
まぁ、卒園式はギリギリ元気に出られたので良しとするか。
さて、卒園式でいかに息子が素晴らしかったかという親バカ投稿は誰も読みたくないと思うので胸にしまいつつ、
今回はなかなか改めて触れる機会のなかった我が“保育園”について。
6年前の秋。
保活激戦区。
なんとなくピリピリしながら、思い切り肩に力が入った状態で、いくつかの保育園の見学に臨んでいた。
その中で訪れた今の保育園の第一印象は、どことも違う、けっこうなインパクトだった。
古い市営住宅の一階にあるこの保育園は、建物も古く、
保育士さんたちも古…いや失礼、ベテランの方が多かった。
そこで目撃してしまったのは、床を拭いたティッシュで間違ってこどもの顔を拭いて「あらやだ、ごめーん!」と笑う先生の姿や、
何か園の情報がまとまってる書面はありますか?の質問が「いや、ないわねぇ」と流されたり(結局あって、見学の最後にもらえたのだが)、防災対策に対する質問にゆるい回答しかもらえなかったり(入ってみたらとてもちゃんとしていたのだが)という場面。
英語などの特別なカリキュラムは何もなく、ひたすら外遊びが多く、朝の体操とマラソンが日課とのこと。
ツッコミどころ満載の見学の横を、鼻水垂らした裸足の子供たちが楽しそうに走って行き、その鼻水を拭こうとボックスティッシュを手作りの専用ポシェット(これは画期的だとあとで知る)で斜めがけにした先生が追いかける。
…頭に浮かんだ言葉は
“野性保育園”。
しかしよく見ると、古い園舎は掃除が行き届き、古い絵本や遊具も丁寧にメンテナンスされ、心のこもった先生たちの季節の装飾が子供たちの作品と共に並ぶ。
うちの子は男子だしある程度ワイルドでも構わないか、家から近いし、正直そんなに人気園でもなさそうだから、、
という思惑でここを第一希望で申請し、無事通うことになったのだ。
結果。
大正解だった。
彼の保育園生活はとても充実し、
本当に大きく成長した。
特に4歳児クラスから3年間担任してくれた2人の先生には、ただただ感謝しかない。
小さな進歩を見逃さず、すかさず褒めてそれを親にも伝えてくれるS先生。
子供が今後苦労するかもしれない部分を見抜き、それを集団の中でうまく改善させる“学び”を促してくれたM先生。
素晴らしいのは、それを26人分もきめ細かくやった上で「自分で考えてやりたいことをやれる子に育てる」というビジョンを貫き、実際にとても自主性と自己肯定感の強いクラスが出来上がったことだ。
運動会や学芸会の出し物でも驚きのクオリティの衣装やシナリオを用意してくれるのに、
「私もう疲れちゃったよ〜、実は今回ちょっと手抜いたんだよねぇ。」なんて言うお茶目な一面もある先生で。
あーこんな上司がいたらすごく良い会社ができるなぁ、なんて思って。
とにかく尊敬しておりました。
良い先生にあたって良かったと心から思う。
-----
そしてきっと、うちの園に限らず、保育園に対してこんな風に感謝と尊敬と恩を感じてる親はとてもとても多いはず。
保育士は本当に尊い仕事だ。
たびたび問題になっているが、保育士不足と厳しい待遇は個人的にも無視できない。
というかそもそも“保育”士という名前も気に入らない。
“育ちを保つ”どころじゃない仕事をしていると思うし、
将来社会や国を背負う子供たちの、一番大切な時期を預かるという社会的責任はかなりのものだ。
いつも思うのは、
この保育士がもっと仕事に相応の待遇と社会的地位を得るために、
個人レベルで何ができるんだろうということ。
もっと平たく言うと、恩返ししたいんだけど、自分に何ができるのかなぁって。
仏のような彼女たちはそんなこと求めてないのか?いやー、いち職業人としては思うところあるんじゃないかなと思案。
「子供が好きで、その笑顔を見るだけで幸せ」的なモチベーションだけでは、公私の多くの時間を捧げるような保育の仕事はなかなかできないと思うし、
事実、若手保育士の離職が続いているという友人の園の話も聞く。
保育料の補助もいいけど、園の増設も大事だけど、
保育士になりたいな!と思う人がもっともっと増える世の中にすることが、結果的に保育の質も上げるしハッピーな人を増やすことになる気がして。
だれか、何か自分にもできること、いいアイディアがあったら教えてください。
-----
保育園生活も終わり、入学式が目前。
まるで私が卒園したのかなと思うくらい寂しいのですが、
また子育てで悩んだらM先生とS先生のところに行こうと思います。
立ちはだかる小1の壁がどんなものなのかイマイチまだ実感なくてわからないのだけど、
その辺はまた追い追い、、。
4月はできるだけ子供といる時間を増やそうと思います。
できるか私?
がんばって手を抜くぞ。
夕飯に冷凍ピザを堂々と出せる強さを、オラに!!
好きな言葉。
言霊ってあるなとけっこう昔から思ってるし、
大学四年間で学んだことでほぼ唯一役に立ってるのは「予言の自己成就※」という言葉だと言っても過言じゃないくらい勉強してなかった、、じゃなかった、過言じゃないくらい言葉にはパワーがあると思う。
難しいことが言いたいんじゃなくて、なぜだかすっごい頭に残る単語ってありませんか。
私そういうのがいっぱいあるから書き残してたんだけど、公開。
「好きな言葉はなんですか?」って聞かれたら“感謝”とかマジメに答えちゃうんだけど、ほんとは「ゲシュタルト崩壊です。」って言いたい。
※予言の自己成就=たとえ根拠のない予言であっても、人々がその言葉を信じて行動することで、結果として現実になってしまうこと。社会学用語。
--------
片栗粉
栗きんとん
花泥棒
紫陽花
陽炎
五臓六腑
かくかくしかじか
小籠包
--------
五感の美しさ、漢字の美しさ、いろいろ。
そういや昔スピッツの花泥棒って曲ありましたね。
ー走るよありったけ 力 尽きるまで 花泥棒 花泥棒
ー逆に奪われて すべて奪われて 花泥棒 花泥棒
ーああ 夢で会う時は すごくいいのにさ!
どんな意味なのかなぁ、わからないのは自分が未熟だから精進しなきゃ、
という表現者に対する享受者の姿勢は、とても東洋的な考え方なんだそうです。
わかる気がするし、なんかすごく良いなそういうの。
愛しき地元ママ友たちと、深夜のカラオケで90年代ヒットソングを熱唱しながら、
歌っていいなぁ、歌詞の力はすごいなぁとじんわりしておりました。
二日酔いだぜ。
お、二日酔いという言葉も、こりゃ美しい。
笑ひ飛ばすのさ2019年。
2019年明けました。
ここ数年毎年言ってる気がするけど、昨年も激動の年でした。
働き方変えようとむちゃくちゃな交渉をしたところから始まり、退職、転職、バックオフィス入門、商品開発デビュー、スタートアップあるあるを総ナメ、キャンプ行きまくり、ハワイ島旅行、ぬか漬け始める、新しい物書き開始、髪切りすぎる、、、
出来事切りだと果てしない大長編になりそうなので、2018年心を占めることが多かったこと、いくつか。
1.こども戦闘力アップ
6才&3才になった、うちの天才兄弟のパワーがやばい。
やんちゃ度で言うとたぶん世の中の男子兄弟界において“中の中”ではあるんだけど、特に次男の破壊力がすごい。
パルクール!と叫びながらソファの背の方から飛び降り、早熟な“オレ”一人称を駆使しつつ「ミラクル最強なんとかビーム」の名前が日々長く複雑になっていく。Eテレを早々に卒業し、ライダーとレンジャーを兼業しながら、時々リモートでウルトラの星の仕事もするパラレルワーカーである。
長男と違うのは戦闘ベクトルがわりと外向きなことで、近所のお兄さんにいきなり「おい!オレと戦うのかっ!?」とふっかけたかと思えば、家で虫を見つけると「うぉららあぁっっ!」と秒で殺戮体制に入る。
そして3歳児と思えないスナップの効いた重いパンチは、ぜひその道の人に見てもらいたいと思っている。
格闘家系の顔立ちも相まって、ちょっとそんな将来もありえるのかイヤ殴り合う競技はやめてくれと勝手に悶々としてしまう。
基本的には心優しい子で保育園では仲良くEテレ・アンパンマン組と遊んでるらしいのですが。
格闘男子、どこまで面白くなるか観察しようかと思います。
2.家族は難しい
今に始まったことではないが、昨年も家族(というかほぼ夫)のことで無駄なエネルギーを大いに使った。
自慢じゃないが夫は私が知る人間の中で最も面倒くさく、最も扱いにくく、最も弁が立つ男であり、よりによってなんでこの人が自分の夫なんだと多分週1ペースで思っていたと思う。
ケンカしてもスッキリ勝てることはないので、いろいろな発散方法を試していたものの、義母にしばしば夫への文句をぶつけるというのはなかなか飛んだ手法だよなと反省している。反省はしてもたぶんやめられませんが、、。いつも聞いてくれてありがとうお義母さん。
一方で、昨年の後半はなぜか友人の家族問題を聞くことが多かった。その内容も客観的深刻度も様々だったが、みんな話すことで落ち着いたり整理したりしつつ、自分なりの当面の対処法を絞り出して頑張っているようだった。どんなに不満や苦労があろうと、家族はそう簡単に投げ出せるものではない。まして多くの友人は子供という宝を抱えていて。一生懸命、ほころびを繕いながら頑張るしかないのだ。
何が言いたいかというと、家族なんて努力の結晶でしかないということ。理想の家族など幻想だ。どんな幸せそうな家族もどこかに闇を抱えていて、誰かの我慢、犠牲、隠蔽、矛盾などを内包しながら、危なっかしいバランスの上でかろうじて成り立っている。“家族は努力でできている”というようなことを唱えている研究者がいたが、今はその意味がよくわかる。
夫も夫なりに努力しているのだと思う。そして5mmくらいは成長している気もするかもしれないかもしれない。
でもさ、こちとら人間だし無駄な努力でMP減らしたくないしさぁ。私にも非はあるんだろうけどさぁ。調子良ければ良い人だしこんなところで書いちゃうのも悪いかなと思わなくもないけどさぁ。
とにかく誰か、あの夫という名の中二男子と穏やかに過ごせる方法を教えて下さい。
3.だいたいのことは自分次第
転職して環境が大きく変わり、たくさんの人と出会い、手触りのある仕事をすることが増えた。
※詳しくはこちら:顔が見えるお金と、これからの話。 – Konel – Medium
そしてプライベートや子育てのウェイトを増やしたかったのもあり(完全に公私を分けない生き方にもトライしたいので厳密にはちょっと違うんだけど)、前職の7割くらいの仕事量を心がけている。
ようやく近頃は自分なりのリズムを見つけつつあるのだが、先の見通しがついているわけでは全くない。
新しいことにどんどん手を出しているけど、30代も半分過ぎて初めてです!頑張ります!の連続は正直キツい部分もある。今の時代年齢は関係ない?いやいやそれは建前で、ある程度の図太さと無邪気さを盾に飛び込まないとやれないことだ。
こないだ昭和な企業に勤める友人が「〇〇さんはその年なのに何でそんなに頑張ってるの?」と上司に言われたと怒っていたが、ぶっちゃけそこ、よぎらないわけでもない。今までのささやかな経験の貯金を小出しにしながら、自動運転モードに切り替える選択もあるのだ。そしてこの国には私くらいの年齢でその選択をする人が、きっと、とても、多い。
頑張って、チャレンジして、どーすんだ?という心の声が聞こえる。
10年前ならそんなこと考える奴はなんてつまらない人間なんだと哀れみの気持ちすら持っていたのに。
でも、答えはわりとシンプルで、既に出ているのかもしれないとも思う。
頑張りもしない、チャレンジを続けるわけでもない、その時々にやってみたいな面白そうだなと思うことをやってみる、ただそれだけをしていたら良いのだたぶん。
好きなことのためなら我慢も努力もできるもので、目的について回る面倒なエトセトラもそれなりに乗り越えられよう。
ぐるぐる考えると結局毎度同じところに行きついてる気がするけど、2019年もやりたいことだけやって生きていけるか実験しようと思います。
そして、今年の抱負、ねえ。
つい年末までは、2のこともあるし、ここは一回り大人になってキャパを広げる努力をすべし、、、なんて思ってたけど、
なんだか急にバカバカしくなってきたので、いっそ真逆にしよう。
ーーー大人になんて、なるもんか。
これでいこう。今年が終わる時にクレイジーで鮮やかな一年だったと振り返れるように、人様に迷惑をかけない程度にダメな大人でいようと思います。
今回の紅白歌合戦で圧倒的に素晴らしかったのは、椎名林檎と宮本浩次の「獣ゆく細道」だったと感じた人は多かったと思う。テレビ見ててあんなにガツンと来たのはほんとに久々だった。あれほどの高みは目指すのさゑ憚られる御門違いってんで御座ゐますが、
----
借りものゝ命がひとつ 厚かましく使ひ込むで返せ
さあ貪れ笑ひ飛ばすのさ誰も通れぬ程狭き道をゆけ
----
心の隅っこに常備して時々引っ張り出して眺めたい、そんな言葉たちよ。
2019年、良い年でありますよう!
ハワイ②
今さら書くかどうか迷うほど
はるか昔のまぼろしにも感じる8月末の一週間の話。
こんなに日をあけて日記的なものを書くのは初めてだけど、
記憶というのは時間とともに濾過されて、時にどうでもいいエピソードが心に残ってたことに気づかされたりする。
(例えば私の新婚旅行の最大の思い出はマドリードの街中でスリ犯を全速力で追いかけたことである。サグラダファミリアより鮮明な記憶。いいのかそれで?)
そんなわけで、読んだ人の旅行の参考にはならないかもだけど、
ハワイ島4泊6日で心に残ったことベスト4です。
No.4 ヒルトンワイコロアヴィレッジという場所
今回泊まったのはヒルトンワイコロアヴィレッジ。
何を隠そうクレジットカード会社から「タイムシェアリゾートの説明聞いてくれたら3泊タダにするよ」という甘いお誘いがあったのでホイホイ乗ったまでである。
3泊浮いたら国内旅行より安いくらい。ハワイ島も行ってみたかったし、渡りに船とはこのこと。
ハワイ島へは羽田からコナまでの直行便ができたためアクセスは非常にラク。
オアフ島に行くのとさほど変わらない感覚で行き来できました。
しかし例によってろくに調べもせず直前になってガイドブックを開いたら、あれれ島の中は思ってたよりだいぶオアフと違うぞ?!と焦る。
まず島がめちゃくちゃ大きい。
よって移動距離が長く簡単にはあちこち回れない。
そして、基本的にアクティビティがガチ。
トレッキングやりたいな♪と高尾山に登る感覚で考えてたら、
ハードな山登りのため12才以上しか参加できないんだと。
おおお。
なめておりました私。失礼しましたハワイ島。
結果、(やっとホテルの話になりますが)滞在型のヒルトンは正解でした。
仏像がひょこひょこ現れる和洋折衷の謎のインテリアと、築30年のちょい古であることは目をつぶって、
広い敷地内にモノレールが走り、川をゴンドラで移動し(バブルテイスト!)、プールがいくつもある環境は、小さな子供たちにはぴったり。
ホテルの中だけでだいぶ遊べます。
もっとも子供にせがまれて一日に2回ペースでプールに入るため、家族でみるみる焼けていく。
そしてこんがり肌は親だけがなかなか戻らない。
切ない。怖いよ紫外線。
No.3 サンセットディナー
街遊びよりも自然そのものを楽しむのがハワイ島。
ビーチもあまり手が入らずナチュラルでさほど混んでいなく、のんびり。
オアフ島が原宿〜表参道なら、
ハワイ島は鎌倉か。
いやなんかイマイチな例えな気がするけど、、まぁいいや。
そんな島で最高だったのが夕陽。
サンセットの時間に合わせて早めの夕食をゆっくり食べるのがオツですが、中でも
LAVA LAVA BEACHCLUB
https://i.4travel.jp/shisetsu/10478790?dmos=os
は最高でした。ロケーションもお料理も◎。
おすすめです。
No.2 イルカ
正直イルカと泳ぐとか、浮世離れした旅番組の中だけの話と思ってました。
が、何か一つくらい子供も参加できるツアーに申し込もうとなったとき、
イルカと泳ぐツアーという選択が現実に浮上したのです(というか三才の子供が行けるツアーは数えるくらいしかなかった)!
かくして大海原をけっこうな沖までボートで行き、ウェットスーツにシュノーケルで海に潜るという初体験。
5歳長男は大興奮で潜るし、無理だと思ってた3歳次男も抱っこで大海原をプカプカし、意外なほど積極的。
おかげで私もイルカの群れをしっかり見ることができて大満足でした。
絵の具をそのまま出したようなそれはそれはきれいなブルーグリーンの海に初めて潜った。
この年になっても初体験ってまだまだあるし、チャンスがあれば素直に乗ったら良いんだなぁと、しみじみしたのでした。
No.1 レンタカー事件
1位これかよ、的な話ですが。やっぱり毎回旅先では何か起きてしまうもので。
前述のイルカツアーに合わせてレンタカーを一泊借りることにした時のこと。
ツアー前日は車でコナまで出て遊ぼうということになり、ホテル内の代理店でツアーの予約を済ませ、予定も調整した。
そして当日の朝、レンタカーを借りようとサービスデスクに向かったはずの夫が、何やら沈んだ声で電話してきた。
「車、借りられなかった」と。
え??
聞くと、パスポートはあるけど免許証原本がないとダメだということらしい。
今思えば免許がないのに車が借りられるはずもないのだが、
中途半端なリサーチで“国際免許がなくても”を“免許がなくても”借りられると勘違いして、間違った情報を夫に吹き込んだのは私だった。
ちょっとしたパニック。
コナの街のドライブを楽しみにしてガイドブックに印つけまくったのに、車がないってどーいうこと?!
とりあえずイルカツアーも送迎付きに変更しなきゃいけないし、旅行代理店デスクに事情を説明すべく、
Lylico似の小麦色のお姉さまスタッフに半べそでレンタカーを借りられなかったことを伝える。
すると、
「えー!借りられなかったの?!ほんとにないの免許?コピーでもあれば交渉するよ?あーしたら?こーしたら?、、、」
とめちゃくちゃ考えてくれるではないか。
言われるがまま、スマホからクラウドのファイルにあった夫の免許のコピーを探し出し、メールでLylicoに送ると、代理店の本部に転送、プリントアウトされたものがFAXで返信されてきて、
Lylicoはそれを握りしめて「ついてきな!」とばかりに颯爽とレンタカーデスクに向かう。
ひとしきりデスクのハワイ人とLylicoが話し合い、
くるりと振り返ったLylicoはドヤ顔で親指を立てた。(いや実際はそんなことしてなかった気もするが、そういう感じで。)
借りれた!女神!
なんだかんだ2時間くらいロスしてしまったが、
Lylicoのおかげでコナ散策とイルカツアーへの移動手段がなくならずに済んだのだ。
Lylicoにしてみれば、ツアー客のレンタカーなど本来は直接関係ない話。そこに時間を割いてあれこれ動いてくれたことに心から感謝しました。かっこよかったなぁ、姉さん。
ツアー後には旅行代理店にお礼のメールを書きました。そんなことしたの初めて。
Lylicoの素晴らしいサービスがどうか彼女の評価につながりますように。
てなわけで、
行き当たりばったりの珍旅行でありました。
BIG ILANDの名の通り、ワイルドで包容力のある島。
子供たちが大きくなったらまたトレッキングしに来たいけど、まぁその頃は親として旅行なんて行ってくれないんだろな。泣。
ともあれハワイ島、良きところでした!アロハ。
子供写真展。
記録も兼ねて。
先週、子供が撮った写真展“コドモノメセン”を開催しました。
きっかけ。
ある日ふと、子供が撮った写真集めたら面白いんじゃないかと思い立って、
私「ねぇねぇこんなことやったらよくない?」
会社のみんな「いんじゃない?おもしろそ。」
私「やっぱり?!やってみようかなぁ・・・」
会社のみんな「やっちゃえやっちゃえ。うぇ〜い!」
てな感じで後先考えずFBイベントページ投稿しちゃって、
で、何からやるんだっけ?ってなってから気づいた(いやうすうす気づいていた)。
この人たちはやっちゃえ!のハードルのが尋常じゃなく低い。
私や世間一般のそれとはたぶん比較にならないほどに。
うわぁ軽く乗せられちゃったよ騙された!
と、あとあとちょっとだけ恨んだことをここに告白します。
イベントやり慣れてる人にとってはたいした話ではないんだろうけど、
素人にとっては地味だけどけっこうな作業ボリューム。
企画の骨組み考えて、協力者募って巻き込んで、
キービジュアル決定して(Rさん素敵なデザインほんとにありがとう)、
告知方法考えて(今回は初めて自分でゼロからプレスリリースを打ってみた。これがまた奥が深いので興味ある方いたらお話します。)、
協賛先探して打ち合わせ重ねて、展示写真の募集かけて、当日来場の告知して、資材購入、レイアウト決め、加工作業、設営、撤去・・・
前職で何度ももっと大きいやつをやってきたはずなのに、
最初から最後まで基本全部自分でやる、というのはまた別次元の話で。
あー、こういうところが難しいんだ。
意外とここで時間取られるな。
おお、こんな便利なサービスがあるのね。
などなど、学ぶことは非常に多かったと同時に、
今まで発注先で苦労されていた方々の顔が浮かんで、謝りたい気持ちになったりもしましたハイ。
幸いこういう自主企画をやり慣れているメンバーが身近にいたので、
こんな時どうしたら良いの?という質問に的確なアドバイスをもらったり、
協賛会社さんを連れてきてくれたりしてとても助かりました。
うわーどうしよう〜!となった時は
「いや、これ多分だいじょぶっすよ。」
と平常心で返されて、ほんとか!?と内心思いつつ笑、だいたいほんとに大丈夫だからすごー!と。
しまいには「だいじょぶっすよ」欲しさにムダに絡んでた気がする・・・
Sくんどうもありがとう。
まぁ時々めげそうになりつつも、
頭に暗雲がたちこめた時は“これは文化祭だと思え”と自分に言い聞かせ、
基本的にはとても楽しく乗り切りました。
そして写真展会期中は、
写真の応募者ファミリー、ギャラリー巡りの方、こども関連事業・写真関連事業の方、
近所の会社の方、ネットニュースを見て来た様々な方々、
そして純粋に企画に賛同して応援してくれた協賛社さん(びっくりするほど温かい方ばかりでした)や、友人知人など、
いろーーんな方にお越しいただき楽しくおしゃべりしました。
そうそうこの“楽しくおしゃべり”が思わぬ収穫で。
皆さんこちらがちょっと水を向けると、家族のこと、子供のこと、街のこと、仕事のこと・・・(聞いてもないことも)しゃべるしゃべる!
また企画のことについて根ほり葉ほり聞かれるのも意外な反応でした。
「なんでやろうと思ったんですか?」
なんて一般の方に聞かれるなんて思ってなかったので、ええと、ノリです・・・的なしょーもない返答をしてしまった気がする。
でもなんというか、
スマホから離れてのんびりしつつ、
子供が撮った無邪気な写真を眺めながらたわいもないおしゃべりをするという、
とても良い時間を提供できたのかもしれません。
ファミリーの方は子供と一緒になって巨大塗り絵を楽しんでいったり、
写真をバックにたくさん記念撮影されたり、みんな笑顔で満足されていて。
「来年は応募しますね!」「楽しかったありがとう」と言って帰る背中を見送りながら、
あーやってよかったな。としみじみ思ったのでした。
というわけで。
つらつら書きましたが、
かくして“子供が撮った写真展”という珍イベントは無事終了しました。
またやります!
多分やります。
おそらくやります。
まーやるんじゃないかなっ。
乞うご期待。